仏教でも神道でも儒教でもなく……

新渡戸稲造生誕の地に建つ新渡戸像(盛岡市)


◎「宗教」と「道徳教育」

 旧五千円札に描かれた教育学者の新渡戸稲造(1862~1933年)。若くして渡米、その後ドイツに留学中のこと。
 ベルギーの法学者ド・ラブレーと散策しながら語りあっているとき、話題が宗教に移る。

「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者がたずねられた。私が「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
   (新渡戸稲造『武士道』、奈良本辰也訳)


 このとき、新渡戸はその質問にたじろぎ、即答できなかった。 
 10年後、その答として著したのが『武士道』(英語版1898年刊、日本語版1900年刊)。

 ベルギーの法学大家が、日本の学校には「宗教教育」がないと聞いてひどく驚いたのは、西欧ではキリスト教に基づく道徳教育がごくふつうに学校で行われていたからだ。

 振りかえると新渡戸自身、学校で倫理・道徳を学んでいないけれど、生活の場で彼が規範として叩きこまれたのは武士道であることに気づいた。だが、武士道は成文法ではない。せいぜい口伝や、いくつかの格言によって成り立っているにすぎない。むしろ、それは何十年、何百年にもわたって培われた「武士の生き方の有機的産物」(同前)である。
 のちにそのことに思い至り、彼は『武士道』を著した。幕末に南部(盛岡)藩士の家に生まれ育った彼にとって、それは精一杯の答えだったろう。

 注目すべきは、同書で新渡戸が武士道の源として、仏教の教え、神道の教義、孔子の教えを挙げていること。それらが「武士道」に深い影響を与えたと。

◎「あなたの宗教は何ですか」 ~仏教、神道、儒教~

 武士道の淵源とされる仏教、神道、儒教――これら3つの「宗教」は、列島文化にじつに大きな影響を及ぼしてきた。これを否定する人はいないだろう。

 しかし他方、「あなたの宗教は何ですか」と聞かれれば、列島の多くの人は答えに困る。もちろん、これらのいずれか(さらにキリスト教)に確固たる信心をもち、その名を挙げる人もいるが、大方の人は答えに窮する。

 欧米では「宗教」(キリスト教)が文化やモラルの基礎をかたちづくってきた。近代に入り、信仰が薄れたり、「神は死んだ」と叫ぶ哲学者(ニーチェ)が現れようと、いまも基本的な文化構造に大きく規定している。今日のアメリカをみても、熱心な信仰者たちの運動は政治に多大な影響を与え続けている。

 では、日本列島ではどうだろう。いったい何が日本の文化や倫理を形づくってきたのだろう。仏教なのか、神道なのか、儒教なのか。

◎外国人の目に映る奇妙な光景

 仏教が日本列島に公的に伝来したのは、6世紀半ば。
 儒教はそれより早く5世紀には伝わったとされている。
 神道が神道としてまとまった教説のかたちをとるのは、平安後期以降である。仏教・儒教が伝わるまえに、もちろん土着の信仰はあったが、それは自然的な信であり、「神道」として確立されたものではなかった。

新渡戸稲造生誕の地

 列島が特異なのは、仏教、儒教といった外来の「宗教」を受け容れ、これら外来の宗教や知に刺激され「神道」が教説化され、これも含めて「雑居」(並存)させたり「習合」させてきたことだ。仏教と神道が習合し、さらに神仏儒、あるいは神儒一致の教えも生まれた。
 現に人々は、神社仏閣があれば手を合わせたり、頭を下げている。私自身も旅に出れば同じだ。
 新渡戸自身、「武士道」のルーツとして、特定のひとつの宗教ではなく、仏教、儒教、神道の三つを挙げ、「雑居」させている。

 しかし、欧米のような一神教の国の人びとからみれば、これほど奇妙な光景はない。
 新渡戸が生まれた幕末のころ、ドイツ人の外交官ルドルフ・リンダウは、日本人が「神社であろうが仏教寺院であろうが、通りすがりに入った寺社のどこででも祈りを捧げている」ことに驚いている(石川榮吉『欧米人の見た開国期日本』)。
 日本人の信仰自体を疑う外国人もいた。「日本人は必ずしも宗教を信ずる訳ではないが、皆お勤めと思って信心をしている。だから神道も仏教も、分別ある日本人には何の満足も与えていない」(カッテンディーケ著、『長崎海軍伝習所の日々』)。

 なかには、「偶像崇拝と迷信にとらわれた哀れな異教徒」とみなす外国人もいた。偶像崇拝を禁じる一神教的世界からはそう見えるのが当然だ。
 さらに、寺社への参詣と遊興が結びついていることに驚く視線もあった。「聖なる場所」はじつは「遊びの場所」である、と。
 そうした光景はいまも変わりない。 

 雑居(並存)する仏教、神道、儒教のどれが大本なのか、学者・宗教者たちの間で、さまざまな論、学説が唱えられた。しかし、どれかひとつを超越する特別な柱として据えるのは無理だ。
 列島では神仏習合が進み、神仏儒の一体化がときに教えとして推進されてきた。3者を巧みに組み合わせて、政治は統治のために利用することもあった。いわば各宗教の「いいとこどり」をしてきた。「原理」よりは便利や効能に流れてきた。
 それは「原理」にこだわる立場からみれば、いい加減なご都合主義であり、「負性」にほかならない。

◎日本は「どうして犯罪がふえないのか」

 たまたま古書展で手にした新書の冒頭部分にこうある。
 「要するに日本人は外国人をひじょうに意識して、外国人にどう思われるか、外国人に馬鹿にされてはたいへんだという考え方が昔からあったということですね」
 こう語るのは、日本文学研究家のドナルド・キーン氏(のちに帰化し、「鬼怒鳴門」を名乗る)。作家司馬遼太郎との対談集『日本人と日本文化』(中公新書、1972年)での発言だ。

 2人はそこで日本の文化、戦争観、モラルなどをめぐりあれこれ対話している。
 キーン氏は、「どうして日本でもっと犯罪がふえないか」と自ら問いかけ、それは「儒教的な道徳」のゆえ、と自答している。仏教ではなく、徳川時代に広まった儒教が強く影響している、と。

 対して司馬氏は、儒教の影響には否定的だ。倫理的な綱領はたしかにあったけれど、生活習慣や体制としてはなかったので、「儒教はわずかしか日本に影響をもたらさなかった」と。

坂の上の雲ミュージアム(松山市)

 結局司馬氏は、日本人の心性の根を「神道」にみている。といっても、江戸期の平田神道や明治期の国家神道の、あの神道ではない。「もっと原初的な」、「ひじょうに古い形の神道」、いわば「神道ということばもなかったころの神道」に。さらに記紀に登場する「黄泉の国」さえも、「つくられた神道」であって、もっと原初的な神道に、文化的ルーツを求める。仏教伝来以前の、ずうっと前にまで遡っている。

◎「お皿のようなもの」としての日本

 この対談で面白いのは、日本人を「原理には鈍感」とみる司馬さんが、次のように発言しているところだ。

……、ぼくが日本人をいちばんすばらしいと思うのは、むしろ逆にさっきから言っている、原理というややこしいものに煩わされることが少なかったというところなんです。では、日本には何があるか、日本という島国があるだけだ。日本というお皿のようなものがあるだけだ。上に乗っかるものはいろいろあるというところが、日本というもののおもしろいところじゃないかとむしろ思うんですよ。
   (『日本人と日本文化』)

坂の上の雲ミュージアム


 日本人は原理的なもの、イデオロギー的なものにとらわれることはなかった。「日本精神」などと声高に叫ぶのは、「昭和初年にできあがったもの」。「なにか日本的なひじょうに暗いナショナリズムができ上がるのは昭和初期からで、二十年までのほんのわずかの期間ですね」とする。

 「原理には鈍感」なところ、たしかに、それは列島人の特性だ。柱がないから、状況に左右され、流れに身を任せて揺れ動くだけ。確固たる主体が確立されていないからだ。
 多くの学者・知識人たちは、ここに日本人の負性をみてきた。原理・原則をもたず、「空気に支配されている」と。
 たしかに今日でも、政治や社会でしばしばみられる現象だ。根拠を深く問うわけではなく、ただなんとなくそういう空気を感じ、そちらに流れる。

◎日本文化の真ん中は「空虚」?

 日本とは、ずっと「お皿のようなもの」、つまり何でも載せられる器だ、との司馬さんの指摘はそれなりに核心に近づいていると思う。
 似たような考察はほかにも散見される。

 心理学者の河合隼雄は、『古事記』にみられる神の構造から、日本神話の中心が「空」であり「無」であると指摘する。この構造が、「それ以降発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっている」としている(『中空構造日本の深層』)。

 たとえば、西欧的な弁証法の思考のもとでは、正と反があり、合という発展過程がある(こうした見方はヘーゲル弁証法を強引に簡略しすぎているが)。ところが、日本では、正と反の対立を経て「合」に達する直線的な過程がない。中心が「空」であるから、善悪や正邪の判断自体が相対化されてしまう。統合する原理がない。もう少しいえば、成長発展の過程がない。
 河合氏はこういう構造を「中空構造」と呼び、日本社会・思考の特徴とした。真ん中は空っぽである、と。

 日本文化を「凹型文化」と定義したのは、哲学者の上山春平である。
「インド、シナ、オリエント、地中海、ヨーロッパ等の文化」は、農業文明、工業文明に能動的は役割を果たした。こうした文化を彼は『凸型文化』」と呼び、対して、日本文化を「凹型文化」と定義した。日本文化の特質は「いずれの文明にかんしても受動的な役割に終始」すること。そんな特質を浮き彫りにするために、そう呼んだ。体系的な理論を積極的に打ち出すことがなく、つねに受動的だ。
 「凹型文化」とは、河合の「中空構造」や、司馬の「お皿」ともつながるといってよいだろう。

 さらに連想されるのは、フランスの哲学者ロラン・バルトの東京論(『表徴の帝国』、宗左近訳、1970年刊)。
 西欧の都市は「中心」をもっている。教会や官庁、広場、銀行などが中心に集まり凝縮されている。中心とは「おのれを発見する一つの完全な場所」だ。
 西欧の都市はこの同心円的な法則を心得、この原理で貫かれている。それは「いっさいの中心は真理の場」とする西欧形而上学(哲学)の歩みに沿ったものだ。「わたしたちの都市の中心はつねに≪充実≫している」。

 ところが、東京という都市の中心(皇居)に出くわし、その実態にバルトは驚く。「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は『空虚』『聖なる無』である」(同前)。
 ≪充実≫する中心ではなく、「空虚な中心点」「空虚な主体」(皇居)のまわりを、タクシーはじめ車や人はぐるぐる迂回している。なんとも不思議な光景だ。

◎「お皿」(モノ)ではなく「はたらき」

 「原理」がない、中心が「空」、「無」である……。司馬氏の見方に近い論がこうして挙げられる。
 しかし、新しいジャパノロジーの立場からみれば、「日本という島国があるだけだ。日本というお皿のようなものがあるだけ」とみるのは、もう一歩掘り下げが足りない。また、中心が「空」「無」とみるのも同様だ。

 お皿は器である。機能としては食べものを載せる。しばしば複数の食べものを「雑居」させている。仏教も、神道も、儒教も。国内産のものも、国外産のものも、なんでも載せられる。
 しかし、それ以上の機能(はたらき)は見出せない。習合・融合させることはできない。

 司馬は根底にあるものを「お皿」、つまり「モノ」に喩えた。他方、河合やバルトは、空っぽであり、何もない、という。「モノ」としては何もない。どちらも「モノ」のありなしでみている。
 新しいジャパノロジーは、むしろモノのありなしとは違う次元でみる。言い換えると、ハードウェア(モノ)ではなく、ソフトウェア(はたらき)としてみる。

 「お皿」は仏教、神道、儒教をその上に雑居させるが、習合する力はもたない。「空虚」「無」も同じだ。その力をもたず、3者は霧散し姿を消すだろう。
 仏教、神道、儒教を雑居させるだけでなく、それらを習合させるには、「はたらき」が必要である。いわば仏教や神道、儒教をアプリケーションソフトのように動かす基本ソフト(OS=オペレーティングシステム)に光を当てなければならない。

 ちなみに、こう書くと、「日本精神」とか「大和魂」といった勇ましく尖った「こころ」を想定しがちだ。もちろん、新ジャパノロジーは、そういうとらえ方とは異なる。「こころ」という「モノ」(実体)を指すのでもない。

◎従来の日本文化論との違い

 では、仏教、神道、儒教をも雑居・並存させたり、習合させたりする基本のソフトウェアはどんなもので、どんな「はたらき」をしているのだろうか。基本ソフトとしてのOS(オペレーティングシステム)はどんなふうに「初期設定」されているのだろうか。

 従来、列島の文化を語る時、「わび」「さび」や、「花鳥風月」を愛でるこころなどが採りあげられることが多かった。
 たとえば半世紀以上前の1968年、日本で初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成は、「美しい日本の私――その序説」というタイトルで、ストックホルムで受賞記念講演を行っている。
 冒頭、道元や明恵の歌を示し、日本人は四季折々の美にめぐりあう幸せを得て感動し、人を愛しむ。それが「日本古来の心情」だと語りかける。

 さらに、「我」をなくして「無」の境地になる。これは西洋風の「虚無」ではなく、無尽蔵のこころの宇宙だという。川端は禅の影響を受けた「日本の美の伝統」を謳いあげ、「日本人の心」「美しき日本」を世界に向けて発信し、西欧との違いを強調した。

 先に挙げた「無」「空っぽ」論に連なるもののひとつである。列島文化の一面をたしかに描いているけれど、「我」を超えて「無」「無私」を唱え始めると、ごく一部の「達人」「悟達の人」の特殊世界に閉じることにならざるをえない。知の還り道が示されない。

◎基本ソフトの「はたらき」はいまも機能している

 New Japanologyは、そうした既存の日本文化論とは異なる。むしろ、21世紀の今日でも私たちが日々の営みのなかで稼働させている基本ソフトの構造を明らかにしていく。

 三島由起夫をはじめ、近代以降あまたの学者・知識人たちが日本文化の「喪失」を嘆き続けてきた。いや、私たち市井の生活者も同じ感慨に陥る。たしかに、いろいろなもの、かたち、関係が次々に喪われてきた。
 しかし、列島のOS、初期設定が壊れたわけではない。

 なぜ、そんなことが言えるのか。それは21世紀の今日でもふだん私たちがよく使うことばに息づき、あるいは日常のユニークな動作・仕草・行動に現れているからだ。『逝きし世の面影』の著者渡辺京二氏なら、そんなのは美しい「心性」ではなく、どうしようもない「特性」にすぎないと切り捨てることだろうけれど。

 たとえば、「ありがたい」(ありがとう)、「すまない」(すみません)という日常使うことばに、あるいは、「あ」「あ~」という感嘆詞に、あるいは、日常さりげなく示す仕草・動作に、あるいは、外国人が強く惹かれるアニメやコミック、歌などのポップ・カルチャーの世界に、それは示されている。

 誤解しないでいただきたい。「ありがとう」や「すみません」などのことばを採りあげると、頑固ジジイの道徳主義、厳格主義(リゴリズム)と疑われそうだが、もっと深い層に降りての考察になる。

坂の上の雲ミュージアム 設計ー安藤忠雄


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