西行 「何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

遺された言葉たち⑥

~刻まれ、今も消えない言葉~

高千穂


〇出遭い

 武士の名家に生まれた西行(1118~1190年)は、鳥羽院の北面武士を務めたものの、23歳で突然出家した。真相は謎に包まれているが、以後は草庵を結んだり諸国を漂泊し、たくさんの和歌を残した。
 その西行の作と伝えられるのが、この歌だ。

何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる

『西行法師歌集』

 

 初めてこの歌に出遭ったのは、二十歳前後、西田幾多郎の『善の研究』の中でだった。
 しかし当時、私がこの歌を深く感じとっていたとはとてもいいがたい。そもそも引用した西田自身にしても、『善の研究』執筆段階では同じだったようにみえる。
 この歌を噛みしめられるようになったのは、ずいぶん経ってからだ。

〇西行が涙をこぼした場所

 いったいどんなもの(こと)がそこにおありになるのかわかりませんが、「かたじけなさ」にただただ涙がこぼれます――こう歌われている。
 歌の詞書(ことばがき)には「太神宮御祭日よめる」とある。西行が伊勢神宮に参拝したときとされている。

 西行は僧侶なので社殿での参拝が禁じられ、遙拝所からの参拝で神殿が遠くからしか見えなかったことから、「何事のおわしますをばしらねども」という表現につながった、という見方もある。
 いや、堂々と参詣しているとの説もある。

 しかし、じつのところ伊勢神宮参拝時なのかどうかも、定かではない。仮に神宮参拝時に詠まれたにしても、今日イメージする「神道」を強く意識したものではなさそうだ。当時は神仏混淆の時代で、伊勢も例外ではなかった。

〇西行は何に涙したのか

 随筆家の白洲正子さんは著書『西行』の中で、この歌が彼のものかどうかも疑わしいところもあるが、それでも彼の歌と信じられてきたのは、「いかにも彼らしい素直さと、うぶな心が現れているからだろう」とした上で、次のように書いている。 
 「西行は、天台、真言、修験道、賀茂、住吉、伊勢、熊野など、雑多な宗教の世界を遍歴したが、『かたじけなさの涙こぼるる』ことだけが主体で、相手の何たるかを問わなかった。『かたじけなさの涙こぼるる』では、詩歌以前の感情だし、歌にすることをむしろ避けて通ったのではあるまいか」。

黄金山神社(宮城県涌谷町)

 ※白洲の引用では、「かたじけなさに」ではなく、「かたじけなさの」となっている。

 白洲さんが指摘するように、「西行が信じていたのは、本質的には古代の自然信仰のようなもの」だろう。私流にいい直せば、「自(おの)ずから然り」として存在する万物への怖れと感謝の想いである。
 西行の目の前に「おはします」のは、山や森、滝であり、ときに神社、お寺だったかもしれない。いやもっといえば、万物である。

〇「かたじけない」という想い
 
 対象が何であるかが大きな問題ではなかった。むしろ、「自(おの)ずから然り」と生成する自然を前にして、こちらも自(おの)ずから湧いてくる「かたじけなさ」に涙した、と解するのがふさわしい。
 自分が自力で生きているのではなく、「生かされている」ことを深く受けとめれば、その「かたじけなさ」(身に沁みるありがたさ、うれしさ)に涙がこぼれざるをえない。

 「かたじけない」はおもに三つの意味をもつ。

 ① (尊ぶべきものと比べて)恥ずかしい、面目ない。
 ② (相手・ものごとの尊貴さを損なってしまうようで)恐れ多い。もったいない。申し訳ない。
 ③ (身に余る恩恵や好意を受けて)身に沁みてありがたい。

 「かたじけない」は、自分の小ささに重点を置けば、「恥ずかしい」「申し訳ない」になり、対象の偉大さに重点を置けば、「身に沁みてありがたい」となる。上記三つの意味が混じりあい、ここで表出されている。いかにも列島の存在観にふさわしい言葉だ。

弥彦神社(新潟県弥彦村)

 「神仏習合などという言葉もドグマティックに聞こえる」と白洲が表したように、西行は、生成し現出する存在すべてへ思いを寄せる歌人だった。
 それは、いまは「不在」となっているもの(死者、無)へも想いを馳せることと同じである。

〇日本列島独特の存在観

 西行がこの歌を詠んでからおよそ500年後、伊勢の外宮に参拝の折、俳人の松尾芭蕉は敬愛する西行の歌を受け、句を残している。

何の木の花とはしらず匂哉

「笈の小文」

  
 立ちのぼり漂う花の匂い。いったい何という木の花かは知らない。芭蕉のこころは、その木の名を確定させること(何であるか?)には向かわない。「何事のおはしますをば知らねども」である。
 ただ、立ちのぼってくる匂い(自然の生成)と森閑の気配を受け、西行が詠んだ「かたじけなさ」を追想している。存在の生成、萌えいずる力を受けとめている。

 もし西欧的思考ならば、いったいこの木の花が「何であるか?」(という本質)の究明へと知を進めるだろう。しかし、西行も芭蕉も、「何であるか?」に向かうのではなく、むしろ存在の生成に深く感じ入った。それが列島の存在観と呼ぶべきものである。

 事物の生成を「自ずから然り」と受けとめ、「ありがたい」贈与と感謝する日本列島の存在観は、今日に至るも決して崩壊してはいない。いまだに、列島の人びとのこころのOS(オペレーションシステム)として機能している。

※この歌でキーワードとなる「かたじけなさ」については、拙著『「ありがとう」の構造』で詳しく書いた。

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