ジャズ喫茶 ぶらり寸描(5) ブルーライツ(枚方)

【偏愛名曲】


 “ブルーライト”といえば、私の世代にとっては、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」である。(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)
 1968年末に発表されてから、テレビ、ラジオから流れない日はないほどだった。
 歌謡曲にそんなに入れこんでいるわけではない私にとっても、馴染みやすかった。
 同世代アイドルのあゆみさんは、笑顔がかわいらしくもあった。しかし、それ以上のなにかを感じることは、当時なかった。

日本コロンビア

 ところが、いまから数年前、「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌うかつての映像がテレビで流れてきて、はっとさせられた。たぶん1970年代半ばのものだろう(撮影された時期によって、彼女の雰囲気は異なる)。
 デビュー時のミニスカートではなく、ロングドレスでステージに立ち、大きなウェイブがかかる長い髪をなびかせながら、客席の左右にゆっくり目を遣り、余裕の笑みを浮かべて歌う彼女の姿は、アイドル歌手らしからぬ雰囲気を漂わせている。
 そう、まるで巫女さんのよう。あの時代の喧噪や汚濁をもすべて呑みこみ、鎮めてしまう、そんな突き抜けた優しさに溢れていた。

 ――おっと、“ブルーライト”から、いしだあゆみさんの歌に流れてしまったが、今回はその複数形、“ブルーライツ”という名のジャズスポットだ。

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 ジャズ喫茶はおおむね繁華街の一角に店を構えている。
 しかし、その店は、枚方市(大阪)の閑静な住宅街に高々と看板を建てていた。
 知る人ぞ知るジャズスポット。 
 じつはこの店、〝ぶらり〟旅で出合ったのではなく、雑誌の取材で訪ねたのだった。もう20年近く前に遡る。現役を退いたシニアのセカンドライフを探る仕事でだった。

鎮座する巨大なコンクリートホーンに圧倒される

 50畳はあろうかという広い店内には、柱が1本もない。そこに巨大なコンクリートホーンが設置されている。こんなジャズ喫茶は初めてだった。
 そもそも、店の成り立ちから異色だ。
 取材当時80代だったマスターにお話をいろいろ伺った――。

 大正生まれの氏は、少年時代にどこからか聞こえてきたピアノの音に魅せられてオーディオに興味を持ち始め、戦後ようやくラジオを購入する。
 サウンドへの熱は高まるばかりだが、狭い自宅で大きな音を出せば、周囲に迷惑をかけてしまう。それが悩みの種だった。

 そこで、勤務先(国鉄・現JR)の住宅貸付金制度を利用して、竹藪が広がる敷地(現在地)を自宅用に購入。交通の便はよくないけれど、とにかく大好きな音を存分に追求できる場を手に入れることができた。
 資金がないので、建築を勉強し、自分の手で自宅を建てることに。15畳のオーディオルームも確保した。
 だが、音の追求において、氏の頭に「妥協」の文字は存在しない。もっともっと本格的な音を追求したい――。

 大きな決断を下す。当時は50代だった定年を機に、退職金を投入して、自宅脇の空き地に、理想の音響空間を建てることにした。
 誕生したのが、このオーディオ空間だった。

自分のリスニングルームとして建てた空間が、のちにジャズ喫茶に……


 建築に当たっては、ご子息の手も借りて、広いスペースに支柱を1本も使わない構造に。最高の音を求めて、国内だけではなく、海外へも足を運び、研究を重ねた成果である。
 スピーカーは、自家製の巨大なコンクリートホーン(幅2.7メートル、高さと奥行き1.8メートル)。

 だから、この空間はジャズ喫茶として生まれたのではなく、自分が楽しむためのリスニングルームとして誕生した。
 以降、氏のセカンドライフは、この空間で自分の好きなレコードに針を落として楽しむ日々となった。

仕切られたレコード操作室には窓ガラスがはめ込まれている


 すると、噂が広がる。訪ねてくる人があれば、無料で聴いてもらうように。
 「ぜひ聴かせてほしい」という声が増えてくる。そんな要望に迫られ、ついに1981年、ジャズスポット「ブルーライツ」の開店と相成った。
 全国各地からジャズファンやオーディオマニアが訪ねてくるようになる。
 「固定資産税等々もあり、とても採算はとれません」と苦笑するが、遠路はるばる訪ねてくれるお客さんの笑顔に後押しされ、ずっと営業を続けてきた。

  ★ ★ ★

 穏やかな口調でひととおり話を終えると、白髪の氏は、
 「何か、かけましょう」と立ちあがる。
 私がリクエストしたアルバムは、今となっては忘れてしまった。たぶん、ビル・エヴァンスとかブッカー・リトルあたりをお願いしたはずだ。
 どんなサウンドだったか、記憶が薄れているけれど、それまで耳にしたことのない深い音が心地よく響いてきた。

 そのあと、マスターが選んでかけてくれたレコードアルバムは、しっかり記憶に残っている。
 ジム・ホールの「アランフェス協奏曲」。
 次に、ベニー・グッドマンの「カーネギー・ホール ジャズ・コンサート」。1938年の録音。初めて耳にするものだった。なかでも、マスターが注意を促したのが、「SING SING SING」でのジーン・クルーパのドラムスだった。たしかに、巨大コンクリートホーンから飛びだしてくる音の躍動感は圧倒的だった。
 この演奏が、のちにジャズだけでなく、ロックのドラマーたちにも大きな影響を与えた、というのも肯ける。
 私も取材後、レコードはみつからなかったが、CDでこのアルバムを購入した。

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 若い頃からの夢を追い、建築も学び、定年後に自前でオーディオ空間を創出。実現した音に浸る歓びを、訪ねてくる人とも分かちあう。
 定年を機に、長年勤めていた職場(通う先)がなくなると、途方に暮れる人も少なくない中、ご主人は、むしろセカンドライフを一層謳歌することとなった。
 たしかに、雇用制度が安定していた時代ゆえの話ではあるが、取材でシニアのセカンドライフの好例を伝えることができた。

 数年後、残念ながらマスターは他界されたようだが、今は、ともに建物作りを担ったご子息夫妻が、マスターの遺志を継いで守っていらっしゃるよう(不定期営業)。
 遠くから足を運ぶだけの価値をもつジャズスポットである。

 ※営業日時は事前に確認が必要。

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