ジャズ喫茶 ぶらり寸描(1) ロンド(秋田市)

【偏愛名曲】

ビル・エヴァンス『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』
ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』


秋田市内の「川反(かわばた)」繁華街には、すっかり夜の帳が下りていた。
そこを外れてひっそり佇むジャズ喫茶「ロンド」は、1968年開店という。明治中期に建てられた土蔵を改装した店内にはビル・エヴァンストリオの演奏が……。

◯はじめに  ~ジャズ喫茶という和風スタイル~

 アメリカで19世紀末に生まれたジャズ。1940年代あたりにはモダンジャズが生まれ、勢いを広げるようになった。そして、1970年代くらいまで最前線を走ってきた音楽だ。
 今では日本の割烹店や居酒屋でもBGMのように流れていて、驚かされる。

 「ジャズ喫茶」という空間は、本場アメリカにはないスタイルのようだ。ライヴハウスは世界各地どこにでも見かけるが、ジャズ喫茶は日本列島特有といえる。
 珈琲を出す喫茶店でありながら、凝ったオーディアシステムが用意され、そこから飛びだすジャズの音を、客は沈黙し、ひらすら耳傾ける――それがジャズ喫茶の光景だった。
 かつてそこはアンダーグラウンド文化の一拠点であり、反体制的な匂いを漂わせていた。
 しかし、それから半世紀以上経った。かつては、紫煙烟る中、禁欲僧のうように黙して必死に音を浴びる場だったが、今ではほっとひと息つき、ぼんやりもの思いに耽る、そんな空間に変わった。それでも、街の文化の歴史的蓄積を示すひとつの役割を果たしているように感じられる。

 各地のジャズ喫茶を訪ねるようになったのは、社会人になり、小さな出版社に勤め始め、月1回全国各地の出張を命じられるようになってからだ。
 人見知りする小生にとって、書店営業は苦痛であり、宿泊費1000円という社の過酷な規程が出張嫌いを増幅させた(このあたりのことは、別に触れてみたい)。
 それでも唯一愉しみだったのが、仕事を終えたあと、ご当地で探しあてたジャズ喫茶で、時間を過ごすことだった。
 その出版社は1年で辞めたので、ジャズ喫茶探訪の機会は減ってしまったが、今世紀に入り、フリーでの取材仕事が増え、各地のジャズ喫茶探訪が復活した。

 各地を訪ねれば、取材後にメモを整理するには、スターバックスやタリーズ、ドトールなどのチェーン店の環境が煩わされずありがたいが、出張先は全国展開するチェーン店のないエリアも多い。
 それに、むしろ静かな時間をジャズ喫茶で過ごしたくなる。

 そんな訳で、各地を訪ね、取材や用事をすませたあとに巡りあったジャズ喫茶を、数回に分けて寸描してみよう。

◯ロンド(秋田市)

 用件をすませた夕刻、すでに陽は落ち、街には夜の帳が下りていた。秋田市内最大の繁華街とも呼ばれる「川反」繁華街に、初めて足を踏み入れる。
 午後5時を過ぎれば、賑わってもよい時間のはずだが、通りに人の姿はほとんどない。閉じている店が多い。ここ20年ほど取材で各地を歩いていて、どこの街もずいぶん静かになっていることは承知している。他の県庁所在地でもそうだったから、驚きはしない。それにしても、かつて花街もあったらしいここも、ずいぶんと静かで、灯りも少なめだ。コロナ禍も影を落としているのだろう。

 そんな通りの上を横断して輝くネオンが見える。近づくと「新政」と書かれている。酒処秋田らしくはある。街の灯りが少ないだけに、その輝きがずいぶんと目立つが、ほっとさせられる。

 海鮮を扱う店で高清水を傾けながら食事を終えたあと、グーグルマップでふと検索しあてたジャズ喫茶をめざす。
 ビルの灯りは消え、店の灯りもぽつりぽつりとしかない道をしばらく歩いて、「ロンド」という店に辿り着いた。
 手入れされた庭の奥、洋風のお洒落な建物が見える。煉瓦の敷石を踏み進んでドアを開けると、中は太い梁がしっかり組まれた土蔵造りで、温もりが感じられる。
 すぐに客の心を開いてくれる。

 
 先客は一人で、カウンターでご主人らしき人物と並んで話をし、カウンター内にママさんとおぼしき女性が右に左に動いていた。

 大型スピーカーの音が、心地よい。
 流れていたサックスのアルバムが終わる。
 次にかかったのは、ビル・エヴァンスだった。『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』。エヴァンス初期の傑作のひとつだ。スコッロ・ラファロのベースがとりわけ躍動するアルバム。私にとってはドンピシャで、じつにうれしいことだ。
 おそらく、ママさんが新しく来た客(私)の好みに合わせてくれたのだろう、と勝手に推察する。ビル・エヴァンス好みの雰囲気を小生も醸しているのかな、と妄想し内心自惚れる。
 こちらも、リズムに合わせて首を少し上下させたり、テーブルの上で指を小さく動かし、喜びを控えめに表す。

 続いて、初めて聴くヴォーカルのアルバムが始まる。
 「では、これはどうだ!」とばかり、ママさんのアグレッシブな姿勢が感じられる。
 老いてややかすれた女性の声のようだ。初めて聴くので、こちらが、カウンター上に置かれたアルバムジャケットを手に戻り、席で眺めていると、早速ママさんがやってきて、ヴォーカリストのことを教えてくれる。
 おお、男性の老ヴォーカリスト。Jimmy Scott。.シャルル・アズナブールも参加している。知る人ぞ知る、といった存在のようだ。歳を重ねても知らないことはたくさんある。

 そこに、カウンターに座って背を向けていたご主人も話しの輪に加わり、あれやこれやのジャズ談義に。
 今ではレコードが見直される中、この店では逆にレコードではなく、CDにこだわっている、という。その理由について、蘊蓄を拝聴する。なるほど。
 どうやらご主人は同世代で、映像制作を長年手がけてきた御仁と知る。
 店のオープンは1968年。50年を超える。オープン間もなく、明治中期に建てられたこの土蔵に移転したらしい。
 東京のジャズ喫茶、日暮里のシャルマンや新宿のDUG、吉祥寺の店に話が広がる。

 と、ママさんが、ビル・エヴァンスのアルバム『モントルーⅢ』のCDジャケットを持ってくる。ご主人はかつて海外のライヴを訪ね、映像も撮っていたそうだが、この有名なライヴシーンも撮影していたとか。当時は著作権や肖像権云々があまり問題視されていなかったのだ。

 で、このアルバムの3番目の曲の◯分◯秒のところで物音が録音されている、とママさんが教えてくれる。それはご主人がカメラのキャップを落とした時の音だそう。
 すでにほかに客はいないので、その部分を、ママさんが思い切りボリュームを上げて、何度も聴かせてくださる。
 チャリリリリッ。たしかに、キャップが落ちた音が……。名盤にこんな音が、と大笑い。ふだん聴いていると耳に入らない、かもしれない。

 昔のライヴ録音には、演奏以外のさまざまな音が刻まれている。エヴァンスであればヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ録音(『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』や『ワルツ・フォー・デビー』)で客席の話し声や笑い声が時折入っている。
 とくに後者のCDにのちに追加された「PORGY」では、後半に会話中の女性の高い笑い声が響いていた。当時なら皆に嫌われたであろう、あの声の主はすでに他界しているはずだ。生前、世紀の傑作とされたレコードに刻まれた自分の笑い声を、彼女はどんな気分で耳にしたのだろうか。

 驚いたのは、この店にビル・エヴァンスがやって来た、とのこと。その証拠写真を見せてくれる。たしかに店の奥の壁を背景に、長髪のビル・エヴァンスが、ご主人と一緒に笑顔でいる。長髪はエヴァンス晩年のスタイルだ。
 そうか、秋田にも彼が……。
 あとでネットで調べてみると、1978年に4度目の来日のとき、9月に秋田で公演している。その際、立ち寄ったのだろう。 
 1978年9月……。自己史を振り返ると、ちょうどバリケードを築いて職場の地下室や倉庫に立てこもっているころで、ビル・エヴァンスの来日公演を追う時間もお金もないばかりか、そんな情報に接する余裕すらまったくなかった(このあたりの事情は、『青春えれじい 解放区篇』で触れた)。

 ふだんは、ジャズ喫茶を訪ねると、静かにジャズを聴き、最後にお礼の言葉だけを述べて立ち去ることが多い。だが今回のように、あれこれ話をうかがうのも楽しいもの。

 ウイスキーのロックも、珈琲も美味しい。
 退散する際は、暖かい見送りを受ける。
 とてもいい時間を過ごさせていただいた。「ありがたい」ことだ!

ロンドの店内


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