ジャズ喫茶 ぶらり寸描(4) DANTE (盛岡)

【偏愛名曲】

今は間口を広げたのだろう、ジャズ喫茶と気張らず、ポップス系のレコードも流す、暖かな雰囲気の店。味噌汁、珈琲付きのランチをいただき、ひと息ついた。






 ニューヨークタイムズの企画記事で、盛岡市が「2023年に行くべき52ヵ所」の旅先で、ロンドンに次ぎ、2位に選ばれた、という。
 意表を衝かれた感はあるけれど、振り返ればなるほどとも感じる。

東芝EMI

 「盛岡」という名を意識し始めたのは、松任谷由実の「緑の町に舞い降りて」という曲でだった。「MORIOKAというその響きが ロシア語みたいだった」とユーミンが歌っている。アルバム『悲しいほどお天気』に収録されていた。耳にしたのは、リリースされた1979年前後のことだろう。以来、MORIOKAは気になる街だった。このアルバムが、全体に〝透明な悲しみ〟に包まれていたことを想い出す。

 実際に盛岡を訪れたのは今世紀に入ってからで、2度ほど。
 2度目は、新型コロナウイルスが流行し始める直前のことだった。
 盛岡市内で取材仕事を終え、その日のうちに帰京できたのだが、宿をとり、翌朝、市内散策に出た。

 盛岡城跡公園、もりおか歴史文化館、岩手銀行赤煉瓦館、もりおか啄木・賢治青春館、そして竹細工の茣蓙九・森九商店など、定番のルートを歩き、さらに盛岡八幡や旧石井県令私邸、南昌荘あたりまで足を伸ばした(外にも、石川啄木、宮沢賢治に因むスポットがいくつか点在している)。
 歴史文化が染みこみ、散策するのが楽しい街。そう考えれば、ニューヨークタイムズで選出されることに違和感はない。


 途中、昼食の店を探していて、「JAZZ&COFFEE」の看板を見つけた。12時半ごろだったろうか。
 ビルの2階のようだが、1階の階段前に「ランチ」の案内も掲示されている。ためらう理由はない。さっそく階段を昇った。

 あまり広い店ではなさそう。ジャズ喫茶というよりは、ふつうの喫茶店という雰囲気。
 昼食時で、サラリーマン風の男性が入れ替わり出入りする。近所には銀行もいくつかあるので、銀行員だろうか、スーツにネクタイの年輩男性が、ひとり静かに食事している。

 かかっていたのは、ジャズではなく、モンキーズのベストアルバムからの「デイドリーム・ビリーバー」。学生時代に流行った、懐かしい曲。たしか、のちに忌野清志郎がカヴァーして、TVCMでも流れていたはず。小さめの音量で、BGMといった感じで流れている。

 とにかく、荷物を下ろしてひと息でき、体に優しそうなランチをいただく、レコードの暖かめの音に包まれて。
 ランチは味噌汁・珈琲付きで650円。
 お見受けするに、80歳前後のマスターと、やや若くみえる奥さん(と勝手に推測)の2人で店を切り盛りしている。
 動きはずいぶんゆったりされているが、提供すべきサーヴィスはきとんとこなしていらっしゃる。

 マスターは昔はおそらく相当にヘビーなジャズ愛好家だったのだろう。そんな気配が感じられる。しかし、歳を重ね、流す音楽の間口を広げたのではないだろうか。
 飾られるレコードジャケットはサッチモなどのジャズだけでなく、ロック、ポップス系も交じり、ジャズ喫茶と気張る雰囲気はない。むしろ、それが今も地元の人に親しまれているのだろう。


 店を開いているというのは、社会とつながっていること。
 勤め人が定年退職、あるいは高齢になって会社を辞めると、そのあと、社会との接点を失いがちになる。意識して社会との関わりをもっていればよいのだが、そうでないと、心身がこわばってくる。私自身、自戒していることだ。
 二人はこの店を若い頃から営業しているのだろうが、生きること、働くこと、音楽を流すこと、それらが自然に融合しているようにみえる。そんな雰囲気を醸す振る舞いに感心し、お見事と思う。

 失礼ながら、あと何年続くのかわからない。あるいは、継ぐ人がいるのだろうか……。
 訪れた直後に広がり始めたコロナ禍。それが災いしないことを願う。


 なお、盛岡には、開運橋ジョニーはじめ、ほかにもジャズの店はいくつか存在する。

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