富岡町慰霊碑 「原発事故さえなかったら……」

遺された言葉たち⑤

 今回は、若い頃に遭遇した言葉ではない。
 2月上旬の夕暮、取材仕事の途中、常磐線の富岡駅に降り立った。
 浜通りに位置する福島県富岡町は、今も一部地域が立ち入りを制限されている。

 新しくなった駅の周辺を歩いていて、偶然その言葉たちに出遭った。

常磐線富岡駅

 駅から海に至る東側は、津波で街が壊されたあとに、整地された土地がそのまま広がる。


 駅の反対側、造成された丘に登りかけた途中、真新しい石碑を見つけた。


 昨年(2023年)、富岡町が建立した「東日本大震災慰霊之碑」。
 海に近いこのエリアでは、24人が犠牲となり、うち6人は行方不明だという。 

夕焼け空を映す石碑

 
 以下に石碑の全文を示す。

二〇一一年三月十一日 午後二時四十六分
岩手・宮城・福島県沖を震源とする最大震度七の
大地震が発生した 町内は道路の崩落や建物の
損壊を始め大きな傷を負った
大地震は最大波高二十メートル超の津波を
引き起こした 沿岸部の小良ヶ浜・小浜・仏浜
毛萱・駅前・栄町・下郡山の集落が破壊され
二十四人の尊い命が失われた
碑の建つこの場所は「あの日」津波に濡れていた
故郷を襲ったのは自然災害だけではなかった
東京電力福島第一原子力発電所の事故によって
全町民が避難を強いられた未曾有の原発事故は
地域の営みや人と人とのつながりを破壊した
行方不明者の救助・捜索を充分にできなかった後悔
長い避難生活で心身ともに疲弊し失われた命への
やりきれなさ 今を生きる我々の胸には大きな
傷が残っている あれから十余年故郷富岡町は
いまだ復興の途上にある
私たちは被災や避難の経験を後世に伝えていく
私たちは富岡町とともに生き富岡町を守り抜く
震災で犠牲となられた方々 故郷への想いを
寄せながら亡くなられた方々に哀悼の意を表す
とともに故郷の復興と再生を成し遂げることを
固く誓いここに碑を建立する

  二〇二三年三月十一日 建立者 富岡町

 (※組み方はそのまま)

 町(共同体)が追悼文をまとめる作業は難しいことだろう。言葉は必ず立場を表すから。それでも、やむにやまれぬ無念の想いがまとめられ、こめられている。

 とくに、次の言葉が重い。
 「全町民が避難を強いられた未曾有の原発事故」は、「地域の営みや人と人とのつながりを破壊し」、(避難指示のため)「行方不明者の救助・捜索を充分にできなかった後悔」を生み、「長い避難生活で心身ともに疲弊」した人の命を奪った。
 原発事故さえなかったら……。

 追悼とともに、未来に向けた想いも記されている。これから社会を中心的に担う若者たち、さらにこれから誕生する子どもたちに向けて。

 県内の別の町で聞いた、ある震災伝承者の話も印象に残っている。大震災後、数年経って避難先で亡くなった親族が最期に残した言葉、「原発事故さえなかったら……」。

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大震災前と2023年を比較する写真が、海を望む高台に掲示されていた

 今年元旦に起きた能登半島地震。大被害を受けた珠洲市では、2メートル以上、地盤が隆起した。
 かつて電力会社が珠洲市に原発設置を提案して以降、札束が舞い、利権政治屋が暗躍。是非をめぐり、不幸にも地元が二分された。
 今回、半島は甚大な自然災害を被った。けれど、それでも、「原発事故さえなかったら……」と深く悔やむ痛恨の事態を免れることができたのは、当時の住民たちが、嫌がらせにめげず、地道な反対運動を続けてきたからだ。

 人々は、これまで営みを続けてきた土地に戻るのか、戻らないのか、少なくとも選択肢をもつ。
 しかし、福島では大震災発生後、原発事故によって、故郷に戻るという選択肢はまったく断たれた。長い間断たれ、今も戻れないエリアが存在する。

 都会で電気を「消費」する者として、電気を「生産」してきた地に刻まれた石碑の言葉を噛みしめる。

 

常磐線路を跨ぐ道路から夕暮の海を望む

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