「日本に『哲学』がなかったのはとてもいいこと」!

◎「恋愛」や「労働」なんてなかった

 欧米から入ってくる文化・文物のことばをどう翻訳するか。開国前後のころ、当時の専門家たちは苦労した。
 loveには「恋愛」、labour、work、Arbeitには「労働」、societyには「社会」、individualには「個人」というように、新しく翻訳語がつくられ、紆余曲折を経て、しだいに定着していった。

 裏返せばそれ以前、列島には「恋愛」も「労働」も「社会」も「個人」も存在しなかった。
 たとえば、「恋」や「色」、「情」、「愛」が語られてきたけれど、魂や精神に重きを置くような「恋愛」という概念はなかった。
 「はたらき」はあったけれど、苦役に近い「労働」という概念もなかった。逆に、近代に入り、「はたらき」は「労働」に引っ張られてしまった。

 また、natureには「自然」、rightには「権利」といったように、従来あった漢字に新たな意味をもたせて訳語とすることもあった。
 「存在」は、英語のbe、ドイツ語のSein、フランス語のêtreの翻訳語。中世に散見された「存在」の語を引っ張り出して、訳語として当てたものだ。

 さらに、西洋では一般的に神を意味するgodと、唯一絶対の神を意味するGodに、列島では八百万もいる「神」の漢字をもって代用した。Godにどんな訳語を当てるか、さまざまな試みがあったけれど、「神」に絞られた。
 訳語は欧米の文化を学び理解するうえで、とても大きな役割を果たしたが、翻訳によって生じる概念のズレが誤解を生んだり、文化的な摩擦をもたらすこともあった。

 ただ、さまざまな問題を抱えていても、明治維新前後という状況を考えれば、訳語を造語したり、古いことばを引っ張り出して対処した当時の翻訳作業を責めることはできない。
 むしろ、明治維新から150年以上を経た今日、翻訳によって生じる概念のズレや、双方のことばの背景には、もっと敏感でありたい。

◎「日本に哲学なし」

我日本、古より今に至る迄哲学無し。

議員時代の中江兆民
(『日本の名著 中江兆民』から)


 “東洋のルソー”と呼ばれ、自由民権運動の理論的支柱でもあった明治期の思想家、中江兆民(1847~1901年)。余命1年半と告げられた晩年、こう書き残した(『一年有半』、1901年)。

 むかしからいまにいたるまで、日本には「哲学」はなかった、という。中江はもちろんこのことを否定的にとらえている。「そもそも、国に哲学がないのは、ちょうど床の間に掛け物がないようなものであり、国の品位をおとしめることは確実である」(同前)と。

 「哲学」という語自体、philosophyの訳語として明治期に生まれたもの。古代ギリシャに発する西洋哲学を「哲学」と呼ぶなら、中江のこの断言は正しい。

 他方、「哲学」をもっと広く世界や人生を考察するものとみれば、明らかに誤りである。列島ではたとえば、空海、親鸞、道元、安藤昌益、本居宣長、西田幾多郎らの教説や論考を開けばよい。中江の言は西洋の学を絶対とする狭い視点からのものでしかない。もっとも、当時の状況を鑑みれば、そうみるのもやむをえないことだったろう。

 ※ちなみに、「西洋哲学以外に哲学はない」という見解は、たった二百数十年前につくられたもの。しかも、それは合理的な根拠というよりは、西洋における自民族中心主義および人種差別主義的イデオロギーに基づいたもの、と今日のアメリカの哲学者も指摘している。

 西洋(欧米)か列島か、とその優劣を問いたいのではない。おのおのの「哲学」はそれぞれ必然や地勢的な力のなかで育まれてきたのだから。
 大切なのは、まず相違を理解すること。それは日本列島文化の核に関わることでもある。

◎自然を超えた学(形而上学)としての「哲学」

 日本にはなかったとされる「哲学」(西洋哲学)の大きな柱のひとつが「存在論」である。「いったい存在とはなんだろうか」を問うこと――たしかに、こうした論が日本列島で生まれ、議論され、深められることはなかった。

アリストテレス
(『世界の名著 アリストテレス』から)

 そもそも「存在論」は古代ギリシャに遡る。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは万学の祖と呼ばれる。彼は、『形而上学』(metaphysica)という書を著している。physica(自然、自然学)のmeta、つまりそれを「超えた」、あるいは「あと」に書かれたところに位置する学。自然や個々の事物、現象を超えた学問としての「形而上学」(metaphysica)、それが「哲学」である。

 私たちは感覚(五感)で現象、存在するものを感じる。でも、それだけでは不十分だ。その背後には、いったい何があるのだろうか。個々の現象・事物を統合する、あるいは包む「全体」とはいったい何なのだろうか。ほんとうに「ある」といえるもの(実体)とは、どんなものだろうか。
 「存在」の正体を探る――これが存在論(英語ではontology)である。「ほんとうにある」といえるもの=実体を追究し、存在や存在するものを考える。存在論こそ、西洋における「第一の哲学」である。
 アリストテレスはこう考えた。

◎「美しい人」もときを経れば

 彼の師匠筋にあたるプラトンの考えは、西洋哲学のルーツの特徴をよく示している。
 プラトンによれば、真理とは、変化することや動くことではなく、動かないこと、不変でなければならない。
 彼より前、ギリシャの植民地であるイオニアでは、万物は生成、変化するものとする自然観が活発に論じられていた。
 しかし、プラトンはイデア説を唱えた。不動・不変のものこそ真理だ、と。現実に「ある」ものはたえず変化し消える不完全なものだから。

プラトン
(『世界の名著 プラトン』から)

 私たちが感じるさまざまな「美しいもの」、たとえば美しい花や美しい人も、ときを経れば、美の輝きを失う。地上の美はそんなものにすぎない。現象に左右されない「美」こそ真理である。
 個々の事物はたえず変化し、消えていく。でも、その背後に、変化しないものごとの本質があるはずだ。善そのもの、美そのもの……。不変のもの(イデア)こそ、存在と呼ぶにふわさしい。
 不変の真理は、感覚ではつかみきれない純粋な世界(天上)にある。

 真理を追求するにあたって、人間の肉体は、「魂」のはたらきを邪魔する。視覚や快楽といった肉体的なもの・感覚的なものに煩わされていては、真理をつかめない(プラトン『パイドン』)。
 現実世界(感覚)と理想世界(魂)が分けられ、前者(肉体、自然)は軽んじられる。
 これが西洋哲学のルーツの一方の柱である。

◎列島では「存在論」など生まれなかった

 もうひとつの西洋哲学のルーツであるユダヤ・キリスト教では、地上の万物を創造したのは、唯一絶対の神である。
 創世神話によれば、神が世界を創造した。地上の自然、事物を創り、これらの支配を、神の姿に似せて創った人間に委ねた。人間が、自然、事物を支配できる。地上の万物は、人間が利用したり手を加えるための対象とされる。

 こうした一神教世界と、古代ギリシャ哲学(プラトンのイデア論)が融合して、西洋文明は発展してきた。「ほんとうにあるといえるもの」(実体、真理)の追求(存在論)を、目に見えない世界、天上に求めることになった。

 ところが、近代に入ると神を後ろに退かせ、人間自身が主人公の座に就く。「我思う。ゆえに我あり」。もともと神の信任を受けている人間が「主観」(主体))を確立し、人間以外の自然を「客観」とし、均質な「広がり」ととらえるようになる(デカルト)。
 人間の前に「客観」として措かれる自然は、人間が「観察」し、「実験」によって手を加えれば、その原理を解明できる。つまり、自然を克服できる(フランシス・ベーコン)。こうして、近代科学の基本姿勢も確立された。
 しかも近代哲学・近代科学は、超越する絶対の神による信任を受けている。

 ところが日本列島では、こうした近代思想を生みだす基となる問いや学(存在論)は生まれなかった。私たちが生きている環境としての自然や事物(現象)の背後に、これらありとあらゆる事物を統括する「全体」とは何か、などと問うことはなかった。いいかえれば、「超越」という概念がなかった。
 たしかに、先祖の霊とか、土地の霊、あるいは怨霊など、目に見えない何かを感じたり、物語ることはあっても、万物の背後に全体的な原理、あるいは地上の万物を超えた天上に何があるか、などと問うことはなかった。

◎西欧流の「哲学」がなかったのは、「とてもいいこと」!

 私たちは、西洋流の「哲学」が列島に育たなかったことを悲しむべきなのだろうか。

よく、日本には哲学がないからだめだ、といったふうなことを言う人がいますね。しかし、わたしは、日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています。
  (木田元『反哲学入門』)


 大胆に発言するのは、哲学者の木田元(1928~2014年)。長年、形而上学としての西洋哲学を批判するハイデガーを研究してきた氏が、晩年こういう感慨を述べたことは注目に値する。

 氏によれば、列島では、「存在論」、つまり「存在するものの全体がなんであるかなどという問い」自体、発せられることがなかった。この現実、自然の外(上)に超自然的な原理を設定し、その視点から、現実・自然をとらえることはなかった。日本人は自然の外に立つのではなく、「自分が自然のなかにすっぽり包まれて生きていると信じ切っていた」。
 だから、そんな問いを「立てられないし、立てる必要もありませんでした。西洋という文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照しながら自然を見るという特殊な見方、考え方をしたのであり、その思考法が哲学と呼ばれたのだと思います」と(同前)。

 自然、存在するあらゆるものを包括するような超自然的な原理を立てて、そこから自然、存在者を把握するといった「特殊な思考様式」(木田元)を、列島人はとらなかった。とれなかった。換言すれば、「存在論」が育たなかった。

 日本に「哲学」(存在論)がなかったことを、木田氏のように「とてもいいこと」と断言するかどうかは措くとして、少なくとも、それは恥ずべきことでもないし、劣っていることを意味しない。ただただ、西欧的な「存在論」を考える必要もなかったし、それを問う発想も生まれなかった。
 そのことが日本に、覚書①で触れた「もうひとつの近代」を現出させた要因でもある。

 繰り返せば、どちらが優れ、どちらが劣っているといいたいのではない。ただ妙な劣等感にとらわれる必要はない。
 日本には「哲学」がなかった、だから日本はダメなんだと吐き捨てて、すべてを西洋哲学に準拠することを求めてきたのが、多くのモダニズム的哲学者である。
 逆に反動のように、「世界の真ん中」に「大和魂」や「日本精神」が咲き誇っているとする日本主義が台頭し、戦時中には「東亜共栄圏」や「皇道精神に基く八紘為宇の世界主義」(西田幾多郎「世界新秩序の原理」)へと優れた哲学者まで傾斜を強いられた。

 新しいジャパノロジーは、両極への陥穽を自覚するところから始まる。

◎「存在観」から列島文化のOSを探る

「存在論」の有無、「存在」をめぐるこの相違こそ、西欧と列島文化を根本から分かつ。
 前述したように、「存在」とは、英語のbe、ドイツ語のSein、フランス語のêtreの翻訳語である。
 しかし、「存在論」がなかったからといって、列島人が「ある」ということ(存在)に無関心であったわけではない。「存在」という概念の有無にかかわらず、列島では「ある」(古語は「あり」)ということばはむかしから使われ、今日もいきいきと使われ続けている。
「存在論」とはいえないまでも、「ある」ということ(存在)をとらえ、深く受けとめてきた。いわば、独特の「存在観」を育んできた。

常楽寺(別所温泉)

 そして、この存在観こそ、列島人が抱く「負い」や倫理、そして世界観に深い影響を及ぼしてきた。西洋の存在論(哲学)が、彼らの抱く「負い」や倫理、世界観を大きく規定してきたように。

 訳語「存在」という概念から、逆に列島文化を照らし出してみる。すると、たしかに「存在論」はなかったけれど、「ある」ということをどう受けとめてきたのか、つまり「存在観」が列島には古来厳然として形成され、列島文化の基礎をかたちづくってきたことがみえてくる。
 この「存在観」を問うことこそ、列島のOSを明らかにすることでもある。
New Japanologyの大きな役割のひとつは、西洋哲学の翻訳語「存在」(外国人の目)から、逆に列島文化の特徴を燻りだすことにある。

 今日、「ある」(存在)の漢字表記は、「有る」か「在る」である。しかし、さらに探ると、別の漢字が当てられていたことがみえてくる。
 列島の「存在観」はここから始まる。

別所温泉

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