ジャズ喫茶 ぶらり寸描(2) OCTET(山形市)

偏愛名曲】

チェット・ベイカー&ルース・ヤング「枯葉」
Chet Baker & Ruth Young  Autumn Leaves

駅のほど近くに位置しながら、ひっそり佇む空間は、マスターの人柄が滲み出ているよう。



◯1度目のOCTET

 山形のOCTET(オクテット)には2度訪ねた。いずれも1月、ずいぶんと冷えこむ季節だった。

 1度目は8年ほど前に遡る。
 前日、取材仕事で酒田の街へ入った。
 東京の雑踏に比べると、酒田の街中に人影は驚くほど少ない。けれども、地元の人々が街の賑わいづくりにいろいろ工夫を重ねていることが伺え、とても好感がもてた。
 かつて北前船の港として栄え蓄積された歴史の匂いが、そこかしこに感じられる。『おくりびと』はじめ映画のロケ地としても知られる。


 翌日、そんな酒田の人々の取材を終えたあと、羽越西線に乗った。
 2両編成の列車は吹雪の中、最上川沿いを上っていく。山々は雪をかぶり、線路際にも雪が深く積もっていた。

 新庄を経て、山形駅に着いたのは夕暮だった。
 降りたらすぐに寄りたい店があった。それがジャズ喫茶OCTET。
 コートの上からリュックを背負い駅舎を出ると、霙交じりの街はすっかり冷えこんでいた。
 そのころは、まだスマホでグーグルマップを活用して場所を探す手法をとっていないときだった。プリントアウトした地図を片手に、雪がぐしゃぐしゃになり水たまりを作る舗道は工事中で、それを除けながら通りを行ったり来たりして、無駄な時間を費やしてしまったけれど、しばらくして通りの裏側にそれらしい小さな灯りを見つけ、辿り着いた。
 「船便でJazzが来る」と書かれた木製の小さな看板が架けられている。

 ドアを開けると、奥の席でテーブルに向かい作業をしている男性が一人。マスターのよう。
 「いいですか」
 と尋ねると、
 「どうぞ」
 ほぼ同世代のよう。客はいない。ピアノトリオの曲が流れていた。
 「どちらから?」
 「東京からです。仕事で酒井に出たあと、寄りました」

 古い店で、すべてが円やかに感じられる。草花もきちんと添えられている。
 膨らんだリュックを下ろし、カメラをテーブルにおき、コートを脱いでから、ブレンドコーヒーを注文する。

 入口脇に貼られた紙を見に寄ってみると、近年亡くなったジャズ演奏家の訃報記事が拡大されたものが貼りつけてある。
 「知ってるミュージシャンがほとんどいなくなりましたね」
 と店主。
 「そうですね、ジム・ホールも亡くなりましたね」
 そのジム・ホールの記事も上の方に貼られているのに気づいた。

 「リクエストがありましたら、なんでもどうぞ。ただし、あるものになりますが……」
 そうマスターは微笑む。
 巡らしてみたが、なぜかリクエストしたいという気持が起こらない。仕事の疲れもあったかもしれないけれど、この店でご主人が気ままにかけているレコードを聴いているだけで十分、そのほうがいい、と思えた。
 冷え冷えした冬の夜は、若い頃の原体験のせいか、マル・ウォルドロン『オール・アローン』のピアノと結びつくけれど、このお店でわざわざ聴きたいとも思えない。
 何枚かのアルバムが流れていたが、それぞれしみじみと響いていて、心に滲みた。

 「いつから営業されているのですか」
 尋ねると、1971年から、とおっしゃる。途中で家主の都合で建て替えもあったらしい。
 1971年か。私と同じ世代のようで、なんとなく推測がつく。ある分岐がご主人の中であったのだろうな、と。
 あとは言葉は交わさなかった。ジャズを聴きながら、原稿を書いたり、考えごとをしたり、店内を眺めていた。
 1時間ほどして、ようやく客が一人。馴染みの客らしい。カウンターに腰を下ろし、マスターと話を始める。
 ジャズの店に来たら、トイレに行かねばならない。張り紙や落書きなども、店の一部として欠かせないからだ。きちんとしていて、ポスターが貼られていた。

 東京の新しいジャズの店もお洒落でよいけれど、古くから続いてるこうしたお店の味わいにはかなわない。ご苦労されることも多いのだろうが、そんな気配は微塵も感じさせず、淡々と店を続けている風情だ。

 わずかなひとときの出逢いと別れだけれど、味わい深い時間が過ごせた。感謝したいのはこちらだった。
 ドアを開けると、夜の冷えこみが増し、霙が雪に変わり始め、舞っていた。

 1時間半ほどいたろうか。「ごちそうさま」と支払いをすませたあと、「とてもいい時間でした」と素直にお礼を述べる。
 すると、ドアを開けた背中に、
 「ありがとう!」
 会話のときよりややハイトーンで、強くて太い声だった。その響きがじわっと私を包んだ。それは、店主と客という関係でのやりとりではなく、同士というか仲間といった距離を感じさせるものだった。

 翌朝、まだ雪の舞う山形市内の城跡、博物館の散策も楽しめた。

 ランチを探していてたまたま見つけた「シャンソン物語」というカフェに入ると、華やいだ女性客ばかりだったけれど、ほっとひと息つけた。山形の街ではシャンソンもまだまだ元気だ。


◯2度目のOCTET ~「船便でJazzが来る」~

 それから3年ののち、再び山形を訪ねる機会を得た。
 市内での取材を終え、ホテルにチェックインしたあと、夕暮にOCTETに向かった。
 今回は街中にも雪がしっかり積もっていた。前回のように迷うことはない。
 駅前から1本入った細く暗い道。先に見えるほのかな灯りの手前、そこがOCTET。店の存在を強く知らしめようという意図があまりみえないところにも惹かれる。
 「船便でJazzが来る」の看板は、もちろん変わらない。

 ドアをあけ、挨拶すると、マスターの元気な声。いいなあ、数年ぶりだが、帰ってきたような気持ち。この日もお客はいない。

CDではこのオムニバスアルバムくらいしか
残されていないのではないか……

 ヴォーカル曲がかかっている。次に流れてきた曲にびっくり。
 男女のデュエットによる「枯葉」。初めて耳にする演奏だ。
 チェット・ベイカーが一時恋人だったらしいルース・ヤングと歌っている。途中から彼はトランペットを手にする。
 元祖イヴ・モンタンはもちろんのこと、「枯葉」はビル・エヴァンスが素晴らしいし、ステファン・グラッペリのヴァイオリンも泣かせてくれるし、エリック・クラプトンのヴォーカルもよい。それらとはまた違う、男女のじつに濃密な、いや濃密に過ぎるくらいのデュエットだ。
 「枯れ葉」でも屈指の演奏だろう。そもそもデュエットはこれくらいではないだろうか。
 目をつぶり聴き入る。絶好のタイミングでの出会いだ。こんな出会いもあるから、ジャズ喫茶は楽しい。マスターに感謝。

(今回調べてみると、二人のデュエットが、youtubeにアップされていた)
Chet Baker & Ruth Young  Autumn Leaves

 時代はめまぐるしく変わる。輸入レコードを運んでいた「船便」が「航空便」に変わり、今ではデジタルデータ化され、コンテンツ化された演奏は、ほとんどリアルタイムで共有できるまでになった。かつてからは信じられない著しい技術の進展だ。しかし、それが芸術の内容を深めるとは限らないことはいうまでもない。
 かつて、もう2世紀近く前、カール・マルクスが古代ギリシャの芸術について「それらが今でもなおわれわれに芸術の楽しみを与え、ある点では規範として、また到達できない規範として通用する」という事実を驚きをもって受けとめた(「経済学批判序説」)ように、「社会的発展形態」が芸術の深化をもたらすとは限らない。


 どうしてこの店は落ち着けるのだろう。客がほかにいない時間帯だったこともあるのだろうが、広さがほどよく、草花もさりげない配置されている。そして選曲。なによりマスターの存在。さらに、街のありようも影響しているのかもしれない。
 ライヴもあり、文化の拠点にもなっているよう。ご主人の人柄がそうさせているのだろう。
 前回と同じく、「ありがとう!」の元気な声を背にして、店を出た。
 そういえば、OCTETとは八重奏のことだが、そう名づけた理由は今回も聞き漏らしてしまった……。

第1回
ジャズ喫茶 ぶらり寸描(1) ロンド (秋田市)
 

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