マルクス「君は愛をただ愛とだけ、交換できるのだ」
【遺された言葉たち】①
~刻まれ、今も消えない言葉~
君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、その他同様に交換できるのだ。
カール・マルクス『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六訳)
美しい宣言である。
「愛をただ愛とだけ交換できるのだ」との言い切りには、「愛」と交換できない「愛」も世の中にあることが前提されている。「愛」が愛以外のもの(たとえば貨幣)と交換される現実。
学生時代に出会ったこの言葉に鮮烈な印象を受けたのは、「愛」が貨幣と交換される転倒への批判であり、そこに共感したからだった。
若きマルクスは、人間が貨幣に縛られずに「人間的」に生きられるような関係を他者と築けるときには、「愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ交換できる」とした。
◎貧困と「愛」の交換
今から1世紀前の20世紀の前半、「貧困」の範囲は今日よりずっと広く、またその度合はずっと深かった。飢饉で食糧が底をつく、あるいは借金を返済できなくなった家が、娘を「売る」という傷ましい事態は珍しくなかった。「愛と愛の交換」が強制的に破壊される。二・二六事件の背景には、許しがたいそんな社会情勢に突き動かされて、起ちあがらざるをえなかった青年将校たちの心情を見出せる。
私がこのフレーズに出会った1960年代後半、身売りという話は少なくなっていたけれど、それに近いことを強いられる情況が皆無ではなかった。廃止された赤線の痕跡がまだ生々しい時代で、貨幣を得るために体を売らざるをえない女性は厳然と存在していた。
街の片隅でそれらしい光景を垣間見たり、映画や小説での描写に、少年少女なら強い憤りを覚えるはずで、私も同じだった。
貨幣を支払って「愛」を買う、あるいは「愛」を売って貨幣を得る――ここでの「愛」は、貨幣との交換であるゆえ、「愛」とはとても言えない。
それは、貨幣が絶対化される社会の歪みが招いてしまう結果ではないか。そう思念すれば、貨幣(資本)が物神化される資本制へ怒りが向かうのは必然でもあった。
とはいえ、資本制に対抗する、現存の社会主義体制のもとで、問題が解決されるとも思えなかった。たとえば当時、世界の一方の盟主であったソヴィエト連邦の権力者たちは、生地が見えなくなるくらいたくさんの勲章を制服の上に飾り付けて、パレードで行進する(させられる)大衆を、高い壇上から睥睨していた。そんな姿をテレビを通じて見るだけで、「駄目だ、こりゃ」と思わざるをえない。
それでも、八方塞がりのニヒリスティックな心情を抱えながら、ロシアとは異なる社会主義的な世界を微かに希求していたものだった。
21世紀の今日、「貧困」の深刻度が前世紀と比べてずっと軽減されている。これは、私がいくら近代主義を批判しようが、近代(を極めた現代)の成果としてある。その「達成」が◯◯の犠牲の上に成りたっているではないか、という批判はつねにあるにしても(◯◯には、第三世界、グローバルサウス……、いろいろな言葉をはめこむことができる)。
◎「愛」を買うために「愛」を売る
うなってしまうのは、こうした「貧困」の変遷とは別に、「愛」と貨幣の交換が今日でもなお続いていることだ。強制ではないところで、「愛と愛の交換」が崩壊している。
たとえば、ホストクラブに通い、貨幣を注ぎこみ、ホストに入れあげる女性たち。「愛」や評価を得たい一心からだろう。貨幣で「愛」を買おうとする。そのために背負い膨れあがる借金の返済を迫られ、今度は逆に、自分を別の男に売って、貨幣を得て、穴埋めしようとする。なんともアイロニカルで悲惨な事態だ。
それほど深刻でないにしても、その縮小版といえる光景は、今もいくらでも存在している。
親子関係は、「本来は」などとあえてことわるまでもなく、「愛」と「愛」の交換だろう、たとえさまざまなぶつかり合い、軋みが絶えないとしても。だが、貨幣の貸借関係に変貌している例もある。親が成長した子に、投じた生活費・学費分を返済せよとか、それに見合う見返りを要求する。親と子の関係が、債権者と債務者の関係に変質する。愛と愛の交換は崩れている。
「愛」と貨幣の交換は「貧困」ゆえだけ、とは言いにくくなってきたようだ。
◎「無理やりの接吻」と貨幣の力
貨幣とは「たがいに矛盾しているものを無理やりに接吻させる」と、マルクスは同じ草稿で書いている。シェイクスピアの戯曲を引きながら、貨幣が「全能」であるように存在していることを皮肉る。
「私はみにくい男である。しかし私は自分のためにもっとも美しい女性を買うことができる。だから私はみにくくない。というのは、みにくさの作用、人をぞっとさせるその力は、貨幣によって無効にされているからである」
醜は脱色され、美に到達できる、貨幣さえあれば。
「貨幣は尊敬される。だからその所有者も尊敬される。貨幣は最高の善である。だからその所有者も善良である」
昔も今も、こんなふうにがんじがらめの思考が棲息している。
結局マルクス自身は以降、「全能」のように映る貨幣(資本)の力を分析する作業に、生涯を捧げることとなった。
貨幣の「全能性」が転倒でしかないと憤るゆえ、あるべき人と人の関係を、「愛を愛とだけ」「信頼を信頼とだけ」(友情を友情とだけ)交換できる社会(の到来)に求めた。貨幣を介在させない、あるいは貨幣に左右されない人間関係。
◎「社会責任」と「自己責任」
ただ、面白いことに、青年時代のマルクスは、すべてを社会問題に還元してすませる思考とは異なる視線をもっていた。すべてを「貨幣」「資本制」の責任におっかぶせる、のちの「マルクス主義者」のような愚を、彼自身、少なくともここでは犯していない。章の最後を次のように結んでいるからだ。
もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。
『経済学・哲学草稿』
これも鮮烈なフレーズだ。
回りくどい表現はヘーゲル左派の影響だが、要するに、自分が愛しているのに、相手が愛してくれなければ、「君の愛は無力であり、一つの不幸である」と。愛と愛を交換できる場において、まさに自分の愛こそが厳しい試練に立たされるというのだ。
『経済学・哲学草稿』が走り書きされたのは、彼が20代半ば、パリに住んでいたときだった。若きマルクスの勢いと自信がこう書かせたのだろう。カルチェラタンあたりの街の雰囲気も、筆の動きに勢いをもたらしたのかもしれない。
注目すべきは、彼が貨幣物神、資本制を厳しく批判するだけではなく、併せて、個の力をも問うていたことだ。社会システムの問題だけではなく、個が負うしかない宿命にも言及していた。
これを普遍化していえば、自分が抱えこむ諸問題(愛、仕事、人間関係、人生……)と向きあうとき、二つの態度をもたなければならないことになる。
一方では、自分に降りかかってくる課題は、自らが背負うしかない。自身の力量が問われる。すべてを社会(周り、他人))のせいにして自己研鑽・努力を放棄するのではなく、何よりも自分を磨かなければならない。
しかし、それは半分(その比率は案件によって変わるが)であって、もう半分は不幸や矛盾を強いてくる社会の仕組みや構造を問い、必要ならばその改良・変革へと目を向けることも忘れてはならない。
◎「愛をただ愛とだけ交換する」
先のホストクラブに通う女性たちのトラブルも、自らの意思で貨幣を注ぎこむ彼女たち自身が責任を負うほかない。ただ、いくばくかは、その弱さにつけこむ「売り掛け」制など社会的な問題も指摘されなければならない、というように。さらに、いくばくかは、そのような心的情況に彼女を追いこむ生活過程に、というように。
全部を社会に還元する立場(たとえば「マルクス主義」・唯物論やその亜流)でもなく、逆に、すべてを自己責任に還元する道徳偏狭主義的な立場でもなく。
人はだれもが、大なり小なり「愛の無力」に打ちひしがれ、「不幸」に突き落とされる経験をもつ。しかし、貨幣を積みあげて「無理やりの接吻」を迫れば迫るほど、かえって自己の「無力」と「不幸」を一層深く味わうほかない。
生活の中では、貨幣などいろいろな夾雑物が入りこんでくるのは避けられない。それでも、愛と愛の交換、友情と友情の交換に勝る歓びは見出しにくい。
~半世紀ぶりの〝再結集〟で〝演奏〟された、最後のビートルズ・ソング “NOW AND THEN” を何度も聴きながら~