ジャズ喫茶 ぶらり寸描(3) ペッパー(湯布院)
【偏愛名曲】
『ART PEPPER MEETS THE RHYTHM SECTION』
「しぐるゝや 人のなさけに 涙ぐむ」(山頭火)
秘湯の趣き漂う湯平温泉での取材を終えタクシーに乗ると、ドライバーさんから意外な提案が……。
そして、湯布院でぶらりと入った店ではジャズが流れていた。
◯無人改札の湯平駅を出て
“日本一の温泉県”を謳う大分県。源泉数、湧出量ともに全国第1位だそう。
数年前の10月半ば、取材のため向かったのは、湯平(ゆのひら)温泉に近い湯平駅だった。
重たい雲に覆われた朝、大分駅から博多行の特急に乗りこんだ。取材先との待ち合わせ時間にほどよい列車は特急しかない。
久留米駅と大分駅を結ぶ久大本線は初めてのこと。木製のインテリアで落ち着いた雰囲気の特急車内。
雨粒に濡れ曇った車窓からの景色はぼんやり霞んでいる。
30分ほどで到着した湯平駅。下車したのは、私の外に女性1人だけ。
湯平温泉へのアクセス駅なので、もう少し降車する人がいても、と感じたが、ずいぶんとひっそりしている。
駅を囲む山々の木立は秋雨をたっぷり吸いこみ、緑はまだ鮮やかさを失っていなかった。
霧雨に濡れた駅舎はお洒落な建物で、かつては広い待合室も設けられていたようだが、今では無人の改札だけが残され、他の部分は郵便局、さらにJAに空間を明け渡したが、そのJAも今では撤退している。
◯山頭火 涙ぐむ
メインとなる取材を駅の周辺で終えたあと、湯平温泉へ向かう。
駅から湯平温泉へは、かつては路線バスが走っていたが、廃止になったようだ。採算がとれなくなっているのだろう。
温泉まで、徒歩なら山間を3キロほど下らねばならず40~50分はかかりそうだ。通常の取材ならリュックを背負い、そのくらい歩くのは当然だし、その方が途中でさまざまな発見にも恵まれる。
しかし今回は、その後のスケジュールとの兼ね合い、そして1~2時間に1本という列車時刻表を勘案すると、徒歩で往復するのは時間的には厳しい。
そんなわけで、やむなく駅前に停車していたタクシーを利用することに。
温泉入口でタクシーを降り、霧が漂う温泉街に入る。といっても、小さな集落にように見える。
鎌倉時代に湯が発見され、江戸時代初期には湯治場として知られるようになり、街も整えられた。温泉情緒を醸す石畳の細道は、江戸時代に造られたらしい。
昭和に共同浴場が無料開放され、戦前には入湯客が別府温泉に次いで九州で2位を誇ったのだという。
残念だが、今はそんな勢いは感じられない。季節や時間帯もあるのだろうが、人に出会わない。湯治客とおぼしき人をごく稀に見かける程度。
5つの共同浴場が今も設けられているが、人の姿は見えない。
でも、こんな秘湯だからこそ愛する人もいるに違いない。
石畳の細道を上っていくと、山頭火ミュージアム「時雨館」が右手に見える。館内には山頭火にゆかりの品が並べられている。
しぐるゝや 人のなさけに 涙ぐむ (1)
種田山頭火がここで、湯平の人の情に触れたのだろう。彼が詠んだ句が刻まれた石碑は、駅舎脇と温泉入口に建っている。
ずいぶんと直裁な表現だなとは感じる。俳句門外の徒である小生は評価を下せないが、その率直さに共感は覚える。
◯タクシードライバーから意外な提案
山間まで街をひととおり歩き回ったあと、街の入口近くで開いている食堂を見つけ、昼食をすませる。
往きにお願いしていたタクシーは、時間通りに指定の場所に停車していた。
運転手さんは、私と同世代だろう。勤め先で定年を迎えたあと、タクシードライバーをされているよう。家でぶらぶらしているより、働いてるほうがよい、という感じが伝わってくる。お話好きのようだ。
彼の定年後の生活、家族のことなど、世間話に耳を傾けていた。
会話がのってきたときだった。
「お客さん、湯平駅からはどちらへ?」
「湯布院に行く予定です。湯布院はまだ行ったことがないもので、ちらっとでも歩いてみたいので……。大分空港へは、大分駅と由布院駅とで料金も同じですし」
ここで、ドライバーから意外な提案が飛びだした。
「お客さん、湯布院に行くのなら、私がこのクルマで送りましょう。いや、湯平駅まで行ったらメーターは下ろします。料金は湯平駅までです。そのあとは、もちろん料金はいただきません」
自分はどうせ湯布院まで行くのだから、乗って行きなさい、というわけだ。鉄道なら2駅ほどの距離だ。
じつにありがたい提案である。それに彼の話にもっと耳傾けるのも楽しそう。ただ、一応取材仕事で来ているので、経費関係は誤魔化したくない。
少し逡巡していると、
「娘が湯布院に住んでいるんですよ。今日の仕事はこれくらいで切りあげて、ちょうど湯布院に行くところだったんです。ですから、まあ、どうぞ、どうぞ」
ルームミラーに映る、人のよさそうな運転手さんの目が優しそうに細くなっている。
折角の厚意だから、受けたかった。
だが、やはり仕事で来ているというバカ律儀な心情にとらわれていたので、丁重に辞退させてもらう。
「いいじゃないですか」と誘う運転手さんの心遣いに、申し訳ない気もした。「すみませんね」とこちらが謝りながらタクシーを降り、湯平駅で列車を待つことにした。
しぐるゝや 人のなさけに 涙ぐむ (2)
◯「花も嵐も寅次郎」
湯平駅のホームにある待合室には、看板が架けられている。
「寅さん思い出の待合所」
『男はつらいよ』の30作目「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982年)では、湯平温泉街やこの駅が撮影の舞台になったそうだ。待合室内には、映画にまつわる写真や資料が飾られている。
ポスターには、沢田研二(ジュリー)のほか、マドンナ役の田中裕子の姿も見える。そうか、もしかするとこの映画撮影がきっかけで、2人が接近することになったのかもしれないな。
しぐるゝや 人のなさけに 涙ぐむ (3)
ちなみに私は若い頃は、『男はつらいよ』シリーズのような「人情」ものの世界には背を向けていたので観ていない。でも、今ではテレビで同シリーズが流れればチャンネルを合わせるようにしている。「時代」が懐かしく感じられるし、括弧付きではあるが「人の情け」が滲みるからだ。「歳」と片づけたくないが、半分は歳のせいでもあるにちがいない。
古湯である湯平温泉の街並み、雰囲気にも、懐かしさのようなものが感じられる。
ここ1、2年、台風による被害が続き、温泉街はとても厳しい状況にあるようだけれど、再び湯治客、観光客に愛される温泉地として復活していただきたいものだ。
そういえば、湯平駅の乗降客はアジアの人が多いと耳にした。そのためにはインバウンドが欠かせないのかな……、うーむ。
◯明るい壁面にレコジャが飾られる「珈琲屋ペッパー」
湯平駅は無人駅だったので、到着した湯布院駅で領収書を発行してもらう。
駅舎から出ると、湯布院の街も霧雨で包まれていたが、駅前の賑わいぶりは湯平温泉とは雲泥の差だ。
朝、大分駅を出発してからは、湯平の食堂で昼食を摂った以外は休んでいなかったので、ひと休みしたいところだった。
駅前から伸びる通りを歩きながら、珈琲をゆっくり飲める店を探す。
しばらく歩いて、左手に明るそうなカフェを見つけた。
傘をたたみ、ジャズの店とは気づかずに店内に入り、入口近く、窓際のテーブル席でリュックを下ろした。
そこが、「ペッパー」。
店名の由来は、ピンクレディーの「ペッパー警部」、ではもちろんない。きっとジャズ・ミュージシャンのアート・ペッパーから採ったのだろう。正しくは「珈琲屋ペッパー」。
店内の壁面にはレコードジャケットがずらりと飾られていて、案の定、その中にアート・ペッパーのジャケットもあった。
私はアート・ペッパーには深く入れこんだことがない。持っているアルバムも一枚ほど。でも、とにかくジャズが流れる空間には癒やされる。
壁に飾られたジャケットの数々を眺めながら、改めて思う。やはりレコードジャケットにはCDケースの印刷物とは違う味わいがある。サイズが大きいので、デザインワークの質が際立つ。ボール紙のような紙質の手触りも味わいのひとつだ。
レコードジャケットそれ自体がアートであり、それを収納した音楽と互いに刺激しあう。
こんなふうに、明るい空間にジャケットがずらりと並べられているのもうれしいものだ。
今ではジャズをBGM風に流す店は多いが、たくさんのジャケットをこんな風に飾る店はあまりないだろう。
エリック・ドルフィーのアルバムが小さめの音でかかっていた。
通り側は全面、ガラス張り。外光がたっぷり入る店内。奥からは楽しそうな会話の声が聞こえてくる。
流れるジャズのボリュームは抑え気味だし、ヘビーなジャズファンの方々からは、「ジャズ喫茶」の基準からは外れる、とお叱りを受けるかもしれない。
それでも、温泉街ゆえにまったく期待もしていなかったにもかかわらず、レコジャを展示しながらジャズを流し、その愛好ぶりを控えめに示すお店の姿勢に好感がもてた。
温泉街のメインストリートに位置するから、アンダーグラウンドの趣きは不似合いだ。絶叫調のサックスをボリュームをガンガンに上げて聴くのにふわさしい環境とは思えない。アート・ペッパーあたりのサックスが抑え気味のボリュームで流れるのがちょうどほどよいところだろう。
いい時間を持て、休息できたことに感謝。
くつろぎすぎて、お店の構えを撮影することをすっかり忘れてしまった。
店を出て、観光の中心地である金鱗湖方面へ歩を進めたが、擦れ違う人々から聞こえてくる言語は、韓国語や中国語ばかり。歩いている人のほとんどが近隣国の人々で驚かされた。
コロナ禍直前の旅だったが、さて、いまはどうなっているだろうか。