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ブレット・デービス『日本哲学 世界哲学への貢献』 [書評]新着!!

日本には「哲学」がない、と中江兆民は嘆いた(1901年)。日本の学者たちの多くもそう信じ、「哲学」といえば「西洋哲学」と思いこみ、これを世界標準、普遍としてきた。しかし本書はそれを「西洋独占主義的」と内部から批判し、「日本哲学」に期待を寄せる。同時に「日本」が招き寄せる陥穽についても触れる好著。

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中島岳志 『縄文 革命とナショナリズム』を読んで

戦後社会は、平板で、なれあい的で、ずる賢くこぢんまりまとまり、近代文明の毒で腑抜けになってしまった――そうみなす縄文論者たちは「弥生」的現実に対抗し、「縄文」に変革の根拠を求めた。ただ、そこには「原始」に「イノセント」を見出す思考の危うさも潜む。新ジャパノロジーの立場から感想を記す。

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家族終焉論にみる思考の躓き

「近代家族の終焉」を宣言しながら、家族に依存する上野千鶴子氏の論はなぜ破綻を来しているのか。問題は、家族、ケア、労働のみならず、近代主義的視点を相対化できない限界にまで及ぶ。 ~近代家族の終焉という捏造③~

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上野千鶴子と加藤登紀子の対論 その意外な結末

「別に結婚しなくてもよかったんじゃないですか」と問う上野千鶴子。「結婚して、家庭を営むことからわかることはたくさんある」と答える加藤登紀子。非婚・結婚をめぐる対談は、後日、意外な結末を迎える。~近代家族の終焉という捏造②~

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江藤淳と上野千鶴子――「近代家族」を呪う兄と妹

文芸批評家の江藤淳は近代が招いた“父の不在”を嘆き、“母の崩壊”という喪失に耐えることを「成熟」と呼んだ。社会学者の上野千鶴子は、江藤の論に飛びつき、さらに歩を進め、近代家族の「終焉」を宣言した。
2人は「近代家族」終焉への歌を、あたかも兄と妹のように輪唱した。近代家族は「終焉」したのだろうか。~近代家族の終焉という捏造①~

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「あわれ」「もののあわれ」論

「あわれ」「もののあわれ」とは何か。なぜか、本居宣長の「あわれ」論は多くの学者たちから誤解され、けなされてきた。
長いときを経て育まれた日本列島文化の水脈を探る。

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先崎彰容『本居宣長 ―「もののあはれ」と「日本」の発見―』 [書評]

「日本とは」「日本人とは」との問いはつねに本居宣長を招き寄せてしまう。
もののあわれ、色好み、人情、武士道、ナショナリズム……。著者はどうとらえるのか。浮上する課題は?

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渡辺京二『逝きし世の面影』 [書評]

かつて「夢のように美しい国」と呼ばれる「文明」が日本列島にあった。ただ、それを喪失の詠嘆としてのみ語り、思考を閉じてしまえば、新しいジャパノロジーを切り拓くことはできない。

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エマニュエル・トッド『西洋の敗北』 [書評]

西洋はなぜ「敗北」したのか。“宗教のゼロ状態”は何をもたらすのか。
著者は、「西洋」と「非西洋」という対項とは別の地平に立つ日本に希望を託す。
いまこそ、新しいジャパノロジーへ。

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