「地獄への道は善意で敷きつめられている」

【遺された言葉たち⑦】

~刻まれ、今も消えない言葉~

◯小さな「善意」 大きな「善意

 「善意」は人々を幸福に導く――ふつう、私たちはそう思う。逆に、「悪意」こそ人々に不幸をもたらす、と。
 なのに、「地獄への道は善意で敷きつめられている」とは、いったいどういうことか。
 たとえば、私のようなシニアは、被災地や世界の紛争地に出かけての支援はできないが、カンパで復興や医療の支援くらい、多少できる。電車内でお腹の大きくなった妊婦さんを前にしたら、すっくと立ち上がり席を譲る、くらいのこともできる。これらは、小さな「善意」であり、「地獄への道」とは無縁だ。

 ところが、共同的(政治的・社会的・宗教的)次元に移ったとき、「善意」が必ずしも幸福をもたらす、とはいえなくなる。むしろ、不幸を招来することが多々ある。

 私が、この格言に出遭ったのは、学生時代。吉本隆明さんの書でだった。なんの本かは忘れてしまった。『カール・マルクス』だったろうか。
 そして、はた、と手を打った。この逆説的な格言こそ、当時、眼前に広がっているシーンを的確にとらえていた。私たちが抱く観念世界の病理を言い当てていた。

◯「善意」による地獄への道

 戦後の左翼は、日本社会党と日本共産党に代表された。しかし、「既成の左翼」は、現状に安住して真に闘っていないではないか、堕落しているではないか、戦略・戦術を間違えているではないか――こうして、「既成左翼」から分岐して「新左翼」が登場する。1960年前後のこと。たしかに、そういう気分が徐々に醸成されつつあった。

 その「新左翼」の党派が、1960年代後半、乱立した。彼らは資本家階級に抑圧・搾取された「労働者の解放」「人間の解放」、「プロレタリア階級による革命」を掲げた。そうした大義は、紛れもなく「善意」に裏打ちされていた。「革命」に自己を捧げるのだ、と。

 ところが、政治党派(とそれに属する学生たち)の間では、たえず分派が生まれ、互いに対立し、争う。論争だけなら納得できる。ところが、互いに武装闘争を激化させる。はじめは殴りあいだけだったが、武具・凶器を手にするようになり、木の棒から、鉄パイプにエスカレートする。

 私が学生時代在籍した文学部では、「Z」マークをヘルメットに描く「新左翼」党派が支配していた。
 当時、激しく対立するある党派のメンバーの脚に、錆びた五寸釘を刺し、山中に捨てたと聞き、呆然とした。ところが、それはまだ牧歌的なやり方で、事態はさらにエスカレート。冷酷な殺人の応酬へと突き進んでいった。

◯「善意」が言論といのちを抹殺する

 それは、およそ百年前にロシア革命で成立したソビエト連邦政権から始まり、今も習近平政権やプーチン政権が日常やっている弾圧のミニチュア版だ。党の方針に沿わない大衆運動は一切認めない。
 ソ連の独裁者スターリンを批判し「反スターリニズム」を掲げながら、実際には皮肉にもスターリンと同じ道を辿る。「善意」に満ちた立派な大義(観念)を掲げながら、大衆を弾圧するのは、いずれも同じだ。

 そのころ、少なくない若者たちが、社会のさまざまな矛盾、公害、マスプロ授業に怒りの声を挙げ、また、アメリカ軍が全面介入するヴェトナム戦争に対し「反戦」の声を全国で挙げた。
 こうした状況下、新左翼党派は大義を掲げ、先駆的に活動していた。まさに、「まだ目覚めていない大衆」を牽引する「前衛党派」の役割を一定度果たしていた。

1960年代後半を描いた拙著

 ところが、いや、だからこそ、彼らは自分の支配下に置けない動きは一切許さない。大学内でも同じだ。
 セクト(党派)に属さない私らノン・セクトが、独自に緩やかな連帯組織(共闘会議)をつくり、学内でビラを撒けば、間髪おかずにやってきて、「プチブルジョア急進主義」等々のレッテルを貼り、押さえ込み・封じ込みを図ってきた。
 現に、私が去った翌年、その学部自治会室の中で、ノンセクトの人間が数時間にわたるリンチを受け、殺された。

◯熱狂する観念の転倒

 もし、こんな党派が中央権力を握ったら、現状の政府以上に恐ろしい社会がやってくる。そんな恐怖を、ノンセクトや一般学生たちは抱かざるをえなかった。
 ちなみに、「Z」マークの党派支配に嫌悪と恐怖を覚えていた私は、2022年にウクライナに侵攻するロシア軍が「Z」マークの戦車で侵攻する映像をみて、改めてかつての恐怖を呼び覚まされた。

 いや、この組織に限らない。程度の違いはたしかにあるものの、ほとんどの「新左翼」党派がそうした傾向に陥った。
 党派が掲げる「正義」や「大義」は、「善意」に発し、立派に見える、美しい観念である。
 そして、「善意」溢れる観念こそ、転倒する。

回天訓練基地跡(旧魚雷発射試験場跡)

◯戦時中の立派で勇ましい「大義」

 何も、戦後左翼に限らない。戦時中はもっと悲惨だった。
 軍部や大東亜戦争遂行派は、大義を高々と掲げた。「大東亜の建設」「八紘一宇」「アジアの解放」「五族協和」……それらの、一見立派で美しくみえるスローガンは、現実とは乖離した「善意」の押しつけであり、地獄への道を切り拓いてしまった。実際には他国民を、そして自国民を「地獄」へと追いやった。

 とりわけひどかったのは、戦争を主導した軍幹部、そして学者・知識人たちだ。(たしかに欧米列強による帝国主義的展開がひどいものであったにしても、)大義に向かって進め、と勇ましい言葉で煽り、庶民・学生たちを死地へ向かわせながら、自らは安全地帯に身を置き、敗戦をくぐり抜けた。
 こういう構図はいつの時代にもありうる。

瀬戸内の大津島(山口県周南市)にある回天記念館には、
生還不能の人間魚雷「回天」に乗って、この島から出撃した
若者たちの言葉が刻まれ、遺影が飾られている。
頭を垂れ、手を合わせずにいられない。

◯格言にもうひとことを加えたい

 裏側に「悪意」を隠しながらの、仮面の「善意」はタチが悪い。
 しかし、心の底から「善意」と思いこむ「善意」も、同じくらい厄介だ。
 なぜなら、心底からの「善意」は、「善意」に裏打ちされた観念に依拠するゆえに、妥協しないからだ。「善意」は壁にぶつかれば、この厳しい状況を突破できないのは自分や仲間の思想性・信仰性が弱いからだ、と受けとめる。
 最高権力者(や教主)からとんでもない無理難題を吹っかけられて、ひるめば、その怯(おび)えは、自らや仲間の思想性・信仰性が脆弱で強固でないかだら、と自らと仲間を責め立て、さらに「大義」の貫徹へと向かう。
 連合赤軍の事件、オウム真理教の事件に、その極限的な例をみる。

 こうして、「善意」は、平然と他者のいのちを奪うことになる。絶対の大義のためなら、犠牲は厭わない。殺人だって厭わない。「革命」、「解放」、「救済」、「国体護持」等々、美しい目的を支える善意は、手段を浄化できる(個を抹殺できる)、と思いこむ。目的は手段を浄化する、と。
 熱狂する観念は転倒する。

 美しくて立派な「大義」を掲げて、「善意」をもって迫ってくる観念や組織こそ、どんな傾向のものであろうと、心して距離をとらなければならない。いつだって忍び寄ってくるのだから。
 今なら私は、この格言をもう少し補強したい。

 「地獄への道は、『大義』と『善意』で敷きつめられている」と。

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