「世情」 中島みゆき

【偏愛名曲】

「世情」 作詞・作曲:中島みゆき、1978年

1970年代末 original photo by M.K

◯ユーミンと中島みゆき

 荒井由実(のちの松任谷由実)は1972年にデビュー。
 中島みゆきはその3年後にメジャーデビューしている。
 1970年代前半に登場したこの二人は、新しい歌謡の分野を切り拓いた。それまでの演歌、歌謡曲ではなく、また洋もののカヴァーでもなく、さらには当時新たに勃興していた(四畳半)フォークとも異なる世界を誕生させた。シンガーソングライターという存在がまだ珍しい時代でもあった。

『愛していると云ってくれ』キャニオン・レコード

 当時の私は、ユーミンにこそ、新しい時代の感性を見出していた。その経緯は、かつて、「深海遙」というペンネームで拙著『ユーミンの吐息』(1989年)に著した。まだ彼女についての単行本がほとんど存在しないころのことだ。

 対して、中島みゆきの世界は、どうにもしんどく感じられた。
 唯一手元にある中島のアルバムは『愛していると云ってくれ』。そのころ、世にもっとも親しまれたのは、このアルバムにも収められた「わかれうた」だろう。他にも名曲が揃っているが、全体には遠慮したかった。

◯1曲だけ気になって買ったアルバム

裏面 キャニオン・レコード

 あの時代、暗くて重めの感性をベタつかせて、負った傷を舐めあうような世界に浸りたい、とは思わなかった。現実が充分すぎるほど、重くて暗かったからだ。10年にも及ぶ労働争議を強いられ、職場への泊まりこみも数年に及ぶ中、地下に立てこもった仲間同士の「息遣い」にすらきつさを覚えるほど、私も仲間も追いこまれていた。

 そもそも『愛していると云ってくれ』とのタイトル名からして、退いてしまうではないか。たとえば、収録された「元気ですか」、「化粧」など、女性の心情、心理をじつに巧みにとらえていると感心しながらも、聴きこみたいとそそられるものではなかった。

 それでも、一曲だけが気になって、1978年春に発売されたアルバム『愛していると云ってくれ』を購入した。その曲が、「世情」である。

◯「シュプレヒコール」への共感と反発

 冒頭、中島は、シャンソン風に重々しく歌い出す。ジュリエット・グレコでも、エディット・ピアフでもなく、誰だったか……、想い出せないけれど、人生を達観したシャンソン歌手風に大仰といってもよいくらいに、「世の中はいつも……」と。

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため       

                           (「世情」)


 「シュプレヒコールの波」で始まるサビの部分が、この楽曲の肝を構成している。

 10代のころの彼女(1952年生まれ)は、歳上世代が演じる集会やデモでシュプレヒコールの光景をしばしば目にしていたのだろう。彼女より少し上、つまり私らの世代にとって、シュプレヒコールは切実な声ではあった(と言っても、ごく少数の若者たちだが)。
 けれども、1970年代、すなわち彼女が20代に入ってからは、そんな運動の波は、すうーっと退いていった。
 おそらく中島はシュプレヒコールについて、共感と反発のアンヴィバレントな心情を抱いていただろう。

 この歌の中で、作者は、二つの立場を対置している。

 1 「時の流れの中に『変わらない夢』を求める者」
 2 「時の流れを止めて『変わらない夢』を見たがる者」

 時代の変化を受けとめ、対応しつつ、その中に「変わらない夢」を追求する者と、時代の変化を直視せずに止めて、頭の中だけで構築する理念を「変わらない夢」として絶対化する者。
 後者は明らかに「頑固者」であって、「悲しい思い」をすることになる。

 一応、そう定義できるが、歌詞は奥行きが深く、どうとでも読み替えることができる。
 たとえば、時代、時の流れをどうとらえるか。
 時が流れ、時代は変わるものである、と柔軟に受けとめる人もいるだろう。時の流れの移ろいとはそもそも表層的な現象であって、その底流の本質は何も変わっていない、とみる人もいることだろう。

 夢にしても、「変わらない夢」を断乎固守するのか、時代の変化に耐えうる「変わらない夢」を柔軟に掲げるのか、あるいは「夢は変わるものである」と開き直る(例えば、糸井重里さん)のか。

 そんなふうに、時代をどうとらえ、これとどう関わるのか――「世情」はそんな問いを一人ひとりに投げかけている。

「世情」が発表された1970年代末、永田町を駆け抜ける、マイナーな労働者たちのデモ。
機動隊さんの荒々しい規制を受ける中で、筆者もシュプレヒコールの声を挙げていた  original photo by M.K

 当時の、つまり1970年代の私は、2の流儀を批判して、1の立場に立っているつもりであったけれど、1の立場の難しさと危うさを感じながら生きていた。
 しかし、外側からみれば、私が共同的な運動を担っていた立ち振る舞いは、まさに2の立場のど真ん中にいるように映っただろう。

 このあたりの思考の屈折については、ドキュメントの拙著『青春えれじい 解放区篇』の中に記した。
 いずれにしても、1970年代とは、60年代後半に大きくうねった反体制的な運動を支えた大文字の正義(「階級」、「革命」、「変革」、「社会主義」等の理念)が瓦解し、それでも、そのあとをどう生きるのか、が問われる時代だった。
 「世情」は、そんな時代の心情の戸惑い、屈折、拘りの模様をよく映し出した名曲といえる。

◯甦るシュプレヒコール

 そして、あの時代に私(たち)が毎日のように叫んでいた「シュプレヒコール」は、今では「死語」となっている……。
 そう思っていたが、最近、YouTubeでこの楽曲のカヴァーを見つけ、そこに被せられたシュプレヒコール画像に、思わず目頭を熱くせざるをえなかった。
 香港政府が、声を挙げる市民を弾圧するフラッシュ画像とともに、この歌が流れていたからだ。

キャニオン・レコード

 弾圧する側の当局と、背後の中国政府を領導するのは、中国共産党である。
 彼らの綱領は、「マルクス・レーニン主義」を標榜している。つまり、原始共産制から始まり、封建制や資本制を経ながら、共産主義社会に至るのは、「科学的真理」であり、中国共産党はこの歴史科学的真理を体得する「前衛」とされる。

 真理と正義を体現する、自分たち無謬の「前衛」だけが、無知蒙昧、あるいは間違った歴史観に洗脳された「大衆」を教育・更正し、「科学的な真理と進歩」へ導くことができる。
 これは、まさに西欧的「近代」の進歩主義的歴史観が生んだイデオロギーの典型といわざるをえない。それは、20世紀末までに死に絶えたはずだった。

 たしかに、19世紀の香港割譲という悲劇から始まっているとはいえ、こうした「前衛」が権力を握る構図の下で、雨傘運動に対する弾圧は容認しがたい。
 ここでは、「時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者たち」とは、マルクス・レーニン主義を「科学的真理」として墨守する「前衛」である。
 彼らが権力を握っている限り、市民の抵抗運動(シュプレヒコール)はどこででも起こらざるをえないだろう。「時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者たちと 戦う」ために……。

 「世情」という楽曲は、21世紀に入っても、音楽的魅力と社会的批評性をいささかも失っていない。

(YouTubeから  「世情」(香港版カヴァー曲)

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