与謝野晶子「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」
【遺された言葉たち】②
~刻まれ、今も消えない言葉~
◎「娼婦性と家婦性」の境界線
与謝野晶子初の歌集『みだれ髪』(1901年)には、明治期の社会に衝撃を与えたであろう表現がたくさん見られる。
その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれない)ぞ濃き
作家円地文子は、封建制社会に置かれた女性について、「娼婦性と家婦性との間には1本はっきりした、境界線が張られていて、一般にそれは大正の中ごろまで続いていた」とし、与謝野晶子はその囲いを、「論理」ではなく、「情感」をもって解放した、とその先駆性を評価していた。
たしかに晶子の歌には、それまでの掟を突き破る、ほとばしるような情感、性感が歌われている。女性の表現史として肯ける。
「ああおとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」の詩も忘れがたい。
ただ、私のこころにずっと響いてきたのは、別の歌だった。
◎世界の肯定
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
与謝野晶子『みだれ髪』
わかりやすい歌である。
清水、祇園、桜、月夜……一語だけでも情感をそそられる単語が、3句までにずらりと並んでいる。
清水とは、清水寺、清水坂、産寧坂、二年坂(二寧坂)あたり、あるいは八坂塔を見上げる八坂通あたりだろうか。
祇園は、祇園新橋あたりだろうか。
桜は祇園白川の、あるいは円山公園のものだろうか。
界隈を春の月光がぼんやり照らしている。
そして、祇園から清水へと動線が引かれる。
申し分のない配置。これらが後半の心情を演出する。
「こよひ逢ふ人みなうつくしき」と。
人々が美しく見えるのは、自分が一瞬でも幸せを感じ、世界を肯定したいからだ。
二十歳すぎの晶子は、当時まだ恋人だった与謝野鉄幹と連れ立っていたのかもしれない。あるいは、友人たちとだったかもしれない。いずれにしても、幸せな時に包まれていたのだろう。
祇園から清水へ、月明かりに浮きあがる桜を見上げて歩くという格好の舞台装置が配されていれば、月光にほんのり照らされた行き交う人々の表情、姿に、美しさを感じて不思議ではない。
谷崎潤一郎が「陰翳の作用を離れて美はない」(「陰翳礼讃」)と書いているように、月夜というほの暗さが、一層の演出を施す。
◎どんなに社会体制を呪おうが……
二十歳前後でこの歌に出会ったころ、私は「こよひ逢ふ人みなうつくしき」との心情をとても抱けない情況にあった。人々を、世界を、「美しい」「よし」と肯定できるこころの余裕はなかった。むしろ、世界は絶望的であるように感じられた。
そう受けとめる若者たちが、まれではなかった。社会的・政治的情況がそう強いた。だから1960年代後半の若者たちの抵抗運動も起こった。
世界をとても肯定できない。ニコニコと日常を送る周囲の屈託のない笑顔に、憎悪に近いものすら感じていた。
同世代の若者の中に潜んでいた、こうした否定感情を純化していけば(イデオロギー化していけば)、社会体制への「絶対の否定」に帰結する。国家への武装闘争や政治党派間のテロ・リンチ殺人、大企業を狙った爆破事件など、「絶対の正義」の立場からの「絶対の否定」の行為が頻発した。
しかし、社会体制をどんなに呪おうが、否定しようが、世界を全否定はできない。一瞬でも、何ごとかを肯定できれば、全否定(というイデオロギー)で閉じられた空間に風穴が開けられる。
風穴を無理やり塞ごうとすればするほど、観念が純化され、顛倒を極めることになってしまう。連合赤軍事件や党派間のテロ・リンチは、純化された観念が生んだ惨劇である。
そんな危うい心的情況下にあったとき、この歌に遭遇した。
団体行動は子どものころから苦手だったが、それでも中学・高校の修学旅行で苔寺や大原三千院などを訪ねて以来、京の魔力に少しずつとらわれていた私は、この歌に出会い、惹かれた。
世界を否定したいという切迫感が強かったけれど、それとは別のもっと深いところに、肯定せざるをえない、いや肯定したい世界が間違いなく存在するのだ、と。
◎「みなうつくしき」の根拠
京の桜月夜は、「こよひ逢ふ人みなうつくしき」との心情を喚起しやすい。歴史の地層が深く感じられる京の魔力である。
だが、なにも京の夜だけではない。一杯の珈琲も、一杯のワインも、おさな児の笑顔も、日々感(はたら)く親の後ろ姿も、夕暮の海と溶けあう太陽も、あるいは町の小さな祭りの夜店通りも、「こよひ逢ふ人みなうつくしき」の心情を呼び起こしてくれることがある。
晶子の歌に出会った当時は、「こよひ逢ふ人みなうつくしき」の心情が醸しだされる根拠を、うまく探りあてることができなかった。
歳を重ねた今なら、日本列島独特の存在観にそれを求めることができる。存在の生成への畏怖であり、驚きであり、それを「よし」とする肯定である。「ある」「生きてある」ことを「ありがたい」(有り難い)と受けとめる独特の存在観(存在論)に。
社会をどんなに呪い嫌悪しようが、世界を全否定できないのは、たとえ一瞬でも湧き起こる「ありがたい」心情ゆえである。むろん、どこの国、地域であっても、世界を肯定するなんらかの世界観をもっているはずだが、日本列島の場合、独特のOS(オペレーションシステム)が作動する。たとえば欧米のそれとはまったく異なる。この構造については『「ありがとう」の構造』に書いたし、これからも表現し続ける。
列島の存在観は、偏狭で排他的なナショナリズムとみなして蓋をするのではなく、むしろ世界に開いて発信すべき文化だと思う。