武田泰淳「お前も気の毒な男さな。食べなければ、餓死するんだし、食べれば……」

遺された言葉たち③

知床のもう一つの海難事故


 ゴールデンウィーク直前の知床半島西岸で、遊覧船が沈没、多くの観光客が犠牲となった傷ましい事故(2022年)は、まだ記憶に新しい。
 知床周辺での海難事故は少なくないが、敗戦直前、厳寒の東岸で起こった事故は、奇妙な結末を迎えた。

 1944年12月はじめ、根室港を出発した陸軍の徴用船が、知床経由で小樽港に向かう途中、羅臼沖合で猛吹雪と荒波で座礁。船長と船員数名は辛うじて陸に這いあがった。
 真冬で極寒の羅臼。人家はなく、食糧とするものはどこにも見当たらない。このままでは寒さと飢えで死を待つしかない。生の極限に追いこまれる。
 消息不明の船乗りたちの生存は絶望視された。

 ところが翌年の春、船長一人が住民に発見される。不屈に生き残った「戦時美談」ともてはやされ、彼は英雄とされた。
 だが数ヵ月後、船長が生き延びられたのは、どうやら同僚の人肉を食べたからではないか、との疑いが生じる――。

 埋もれかけたこの事件の資料をもとに小説化されたのが、武田泰淳(1912~1976年)の『ひかりごけ』(1954年発表)だ。

船乗りたちが追いこまれた極限情況


 『ひかりごけ』の前半は、遭難し、ぎりぎりの情況に追いこまれた船長と仲間の心理劇が描かれる。最後に生き残った船長は、仲間を殺して、あるいは死ぬのを待って、人肉を食べた……。
 後半は一転して、船長が裁判にかけられた法廷のシーン。
 検事、弁護人、裁判長のやりとりのあと、弁護人が被告である船長に語りかける。

「だが、お前も気の毒な男さな。食べなければ、餓死するんだし、食べれば罪を犯すんだからな。不幸なめぐりあわせさな。」

武田泰淳「ひかりごけ」


 食べるものは何もない。いや、死んだ(あるいは殺した)人間の肉がある。食べなければ自分が死んでしまう。しかし、食べれば罪を犯すことになる。船長はこのような二者択一を迫られた。

 船長に対するこのフレーズを前にしたとき、二十歳前の私は考えこまされた。
 はたしてこれは特殊な空間に閉じこめられた、船長だけの極めて例外的な情況なのだろうか。
 いや、むしろ私たちも日常社会でこのように置かれており、ぎりぎりの選択を迫られているのではないか。というより、私たちが生きるということ自体、じつは罪を犯しているのではないか。罪を犯すことなく、私たちは生きていけるのだろうか。『ひかりごけ』はそう問うているのではないか。

 以来、弁護人のこの問いかけは、私の思考を規定する原点のようなものになってしまった(拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』でも、そう書いた)。

「食べて生きる」ことの「加害者」性

 
 人は食べ、生きている。食べなければ、死んでしまう。そこに「罪」の概念が入りこむ余地はないようにみえる。
 しかし、社会的な諸関係を探ってみると、生きていることが、じつは他者の犠牲の上に成りたっているのではないか。自分たちは他者への「加害者」として存在しているのではないか。そう、思えてくる。

 二十歳前後のころ、つまり1960年代後半の時代、自分が「加害者」となっていないか、と自らを責めるべきことがたくさん現出した。21世紀の若い人には想像しにくいかもしれないので、少し列記してみる。
 ――ベトナム戦争は激しさを増していた。南ベトナムの傀儡政権を支え、ベトナム人民に近代化学兵器で攻撃を加えるアメリカ軍を、日本(政府)は後方から支えている。爆撃に使うジェット燃料の列車が国内を自由に走り、原子力空母も寄港する。これでは、私たち自身が米軍と南ベトナム傀儡政権による民衆虐殺に手を貸していることになるのではないか。
 日本企業は東南アジアに経済的に進出し、現地の人々から搾取して成長・繁栄を謳歌している。そんな企業が製造する商品を、私たちはただ喜んで享受していてよいのか。
 大学に進みたくても経済的理由で進学を諦めざるをえない同世代人に対して、大学生たる私は、「差別」する側に立っているのではないか(当時、大学進学率は15%に満たなかった)。
 戦後復興を支える重化学工業による産業廃棄物が各地の海や川、大気、大地に排出され、公害が多発する(たとえば水俣病)一方、都市住民の私はそれら企業の生産物商品を、痛みすら感じずに消費・享受しているではないか――。


「沈黙」することの「加害者」性


 沈黙していることは、それらの現実を容認していることにならないか。みずからが「加害者」になっていないか。
 社会的・政治的な多くの事象が、自分のこころに突き刺さってきた。

 殺人や窃盗の法律違反は、たしかに犯していない。人肉食もしていない。
 だが、社会の仕組みが洗練され、つながりがぼやかされているだけで、じつは、関係を辿れば、殺人や窃盗と似たような行為に加担しているのではないか。当時、たしか大江健三郎がサルトル流の「想像力」を盛んに強調していたのも、そんなふうに「想像力」を働かせよ、ということだった。

 「加害者」という言葉は、あの時代、キーワードとしてよく使われた。お前は「加害者」ではないか、自らの「加害者性」を自己批判せよ、というように。
 そういう追及は、若者に特有の性急さによって加速された。

 私の中では、『ひかりごけ』の問いかけは消えることなく、以降もずっと意識の奥底に潜み、しばしば響いてきた。
 現に1970年代、青春真っ只中で強いられた、10年に及ぶ労働争議でも、『ひかりごけ』の弁護人が船長に投げかけたあの声が、頭の片隅でときどき響いていた。

 

「加害・被害」を軸にした倫理への疑い


 ただし、他方で、こうした「差別」「加害性」を軸とする倫理に対して、その頃から私自身、半ば懐疑的でもあった。
 差別・加害する側に生じる罪的意識を、当時私は「負い目的倫理」と呼んだ。差別する側が抱く「負い目」から生じる倫理である。学者や知識人が抱きがちなものでもあった(今では、そんな「負い目」を抱く学者・知識人すら、ほとんどいないようだが)。

 この「負い目的倫理」は力をもつのだろうか。むしろ、観念の転倒をもたらしやすいのではないか。これを純化させると、差別(悪)を糾弾する「正義」の絶対性を呼びこむ。「差別」に加担する他者や自己を糾弾し、存在の全否定に向かってしまうのではないか。
 いわゆる糾弾闘争である。私自身、労働争議や労働戦線の現場で、そういうシーンに幾度も出くわした。いや、半ばそれに加わった苦い経験もある。
 「差別」「加害性」「負い目」をめぐっては、なかなか整理がつかなかった。

 

生きていることから生まれる「負い」


 さて、時を経て今なら、『ひかりごけ』の言葉をめぐってもう少し考えを深め、二つのことが言えそうだ。
 第一。
 弁護人が発した「罪」の概念は、二重にとらえるべきだろう。
 まず、「罪」は直接的には、社会的関係における犯罪である。刑法上の罪であり、たしかに重い(「人肉食」を直接罰する法は存在しなかったようだが)。法廷で裁かれるべきである。

 ただ、それよりも前に、それよりも深いところで、まず私たちは「罪」、言い直せば「負い」を背負っているのではないか。
 たしかに殺人や人肉食という社会的「罪」を犯してはいないけれど、食べるということは、植物や他の動物の「いのち」をいただいていることになる。食だけではない。大気、大地、海、河川、森を利用させていただいている。
 「生きている」「生きてある」こと自体、自然や万物に「負っている」。「罪」を掘り下げていけば、社会の決まりごとよりもっと深い、存在の次元での「負い」に降りざるをえない。

 自然のすべてに「負っている」という認識は、自然への「感謝」の心情を生みだす。さらに、いのちの「有り難さ」に思い至る。
 ちなみに、このような「負い」の概念は、キリスト教における「原罪」はと異なる。キリスト教では、負いと感謝は絶対神に向けられる。

 こうした自然万物への「負い」は、日本列島に脈々と流れてきた存在観の一部を形成している。「負い」の心情は、列島人の言葉、姿勢、しぐさに影響を及ぼしている。ここでの詳説は避けるが、要するに、列島の思考を駆動させるOSに組みこまれている。
 船長が負うべき「罪」は、社会的(法的)次元から、さらに掘り下げてみるべきである。
 となると、「不幸なめぐりあわせ」なのは、船長にとどまらない。私たちすべてにあてはまることになる。『ひかりごけ』の著者武田泰淳は、仏教徒でもあり、そのあたりにまで視線を伸ばしていたはずだ。

 

弁護人も船長も同じ立場に


 第二。時代は大きく変わってしまった。
 かつて食べれば「罪」を犯すというとき、他者への加害として罪が問われた。他者と自己が、被害者・加害者の関係に置かれていた。
 しかし、産業革命以降の近代が極まった今日、そもそも生きることが、他者への加害のみならず、自分自身の首をも締めかねない情況が見え始めてきた。

 人類の活動が地球総体に対し、放置しがたい負荷をかけている、という環境問題の浮上だ(もちろん、「負荷」とのとらえ方自体、「人間」というわがままな視点からではあるが)。
 そもそも人類総体が生存可能かどうかという危機の到来である。流行り言葉を使えば、「人新世」を迎えたゆえの課題と言える。

 ことここに至ると、他者も自己も、同じ一つの地球船に乗り、運命をともにしているという視点を強めざるをえない。他者への「加害」は、じつは自己への「加害」ともつながっている、と。

 近代以降、各産業は、競争する相手になりふり構わず勝たねばならないという、厳しい企業間、国家間の競争を経て、著しい発展を遂げた。他者・他社にうち勝つ争いを強いられた。
 しかし皮肉にも、そんな排他的な争いを極める果ての今日、だれをも呑みこむ、人類全体の存亡が問われる事態が生じつつある。

「個即類、類即個」


 私たちは、個人・法人・国家それぞれが、地表に線を引いて区切り、土地所有を主張してきた。しかし、そんな個々の都合を超え、地球総体の変化が人類の生存を脅かそうとしている。誰もが人類共通の課題に直面している。みなが同じ情況に置かれている。

 かつてフォイエルバッハだったか、マルクスだったか、「個即類、類即個」というスローガンを掲げた。
 その言葉を、二十歳ごろの私は美しいと感じ、強く惹かれた。
 普遍性を「神」に置くのではなく、あるいは戦前の列島のように「天皇」に置くのでもなく、「類」(人類)という普遍に据えることに、強く惹かれた。

 類とは生物学的概念で、つまらぬ観念性や党派性が入りこむ余地がない。「類」が据えられれば、国家、民族間の悲惨な戦争や諍いもなくなるのではないか、と。個が類的に生きることにこそ普遍性がある、というように。だから、当時の私はここに光を見出した。

 しかし、類という概念は、私の意に反して、まったく人気がなかった。近代は、民族、国家、神という概念の方が実力をもっていた。
 いや、ヒューマニズム(人間主義)という言葉があった。しかし、それは、西欧米発の「人間中心主義」にほかならなかった。そこには、未開と文明という根底的な差別が隠されていた。

 ところが、今日、皮肉にも、人間、いや近代人の諸々の営みによる結果が、危機的な意味で「個即類、類即個」の美しい概念を浮上させつつある。

 

変更を迫られる弁護人の言葉


 すると、弁護人が船長に語りかけた言葉も、変更を迫られる。かつては、弁護人は被告(船長)に同情していたが、今では船長と同じ立場に追いこまれる。

 「お前も俺(私)も、気の毒な男(女)さな。食べなければ、餓死するんだし、食べれば食べるほど船が沈没に向かい、一緒に滅びることになるんだからな。不幸なめぐりあわせさな。」

 どちらを選んでも、死へ至る道である。

 とするなら、共倒れを避けるために選ぶ道は限られ、明確となる。
 戦争(侵略)で人やものを破壊している場合ではないし、組織の活動スタイル、個人の生き方のスタイル、人々の関係性も変えていかねばならないはずだ。

  むろん現状では、まだ地域間、国家間の空間的・時間的な差別、差異の問題は消えない。
 まだまだ、他者を蹴落とし、自分だけ抜け駆けして生き残ろうとする動きは消えないだろう。
 自分たちだけが相対的に住みやすい場所、資源を占有して、生存を図ろうとするグループ、国家の動きが強まるだろう。
 あるいは、カリフォルニア・イデオロギーを信奉する一部の人ら(自身を超エリートと自認しているのだろう)は、散らかしたままの地球とは別の惑星に逃避して、自分たちだけが助かればよいと考えているのかもしれない。

 「蹴落とし」や「駆け抜け」でなく、共生へ向ける。共倒れを回避すべく。
 「食べる」「生きる」は「負っている」ということ。そう自覚を促す列島的存在観が、もっと発信されてよいのではないか。

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