九鬼周造の「いき」とユーミンと吉本隆明(下)

【雑記帳】



◯野暮は承知で ~対的世界と共同的世界~

九鬼周造の墓(法然院)

 たしかに「いき」は、日本列島の歴史風土のなかで培われた独特の美学といえる。
 しかしここからは、野暮は承知で、九鬼氏の思考構造のもつ危うさにも触れておきたい。いや、人は野暮でなければならないときもある。

 「いき」とは男女(対幻想)の世界のことである。ところが、それを基礎とする「生き」方が、「大和民族の特殊の存在様態」だ、と彼はみなした。

「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族の自己開示として把握されたときに、十全な会得と理解とを得たのである。
  (『「いき」の構造』)

法然院(京都)


 ここには、とても大きな飛躍がみられる。一方は江戸期の花街での男女関係世界に根ざした美意識であり、他方「大和民族の特殊」は他の国家・民族に対するナショナルな政治的社会的意識である。
 「いき」という対的世界が、「日本人」という民族、国家という共同的世界にまっすぐつながってしまう。

◯「個は共同体に従属すべき」 ~和辻哲郎~

 のちに彼は、自然、意気、諦念の三者を、天皇が継承する「三種の神器」と重ね、「日本独特の国体」へと結びつけた(「日本的性格』)。
 九鬼氏に限らない。当時(昭和初頭期)の哲学者、とりわけ大きな力をもった京都学派に、そうした傾向が強くみられる。

 今日でも「保守」の一部から強く支持される和辻哲郎氏も、同じだ。
 「家族の全体性は常に個人よりも重いのである」(和辻哲郎『風土』。そして、個人が従属すべき「家族」は、「低次」の「共同態」(共同体)であり、国家こそ「精神的共同態」(共同体)として最高位に位置づける。これが和辻氏の基本的なとらえ方だった。
 個人や、低位の共同体とされる家族(対)は、国家という共同幻想(観念)へストレートに直結され、その支配下に置かれる。

 こうして、「大東亜の解放」としての太平洋戦争(大東亜戦争)を戦う国家に、個、そして対幻想(「いき」の世界)は吸収され、「皇国」観念が支えられることになった。

 実際、太平洋戦争へののめり込みは、九鬼が分析した、「いき」を磨きあげた「武士道の理想主義に基づく『意気地』」と、「仏教の非現実性を背景とする『諦め』」を背景としていたようにみえる。
 のちに丸山眞男が指摘したように、戦争期の人びとは、「受動的服従」と「能動的実践」を内包した「『なりゆき』と『つぎつぎ』の推移との底知れない泥沼」(『歴史意識の古層』)に陥ってしまったといえよう。

◯吉本の共同幻想論とその限界

 このような、個の次元、対(男女)の次元と、共同的(社会・国家的)次元を短絡させてしまう問題への反省的分析は、戦後に著された吉本隆明(1924~2012年)の『共同幻想論』を俟たなければならなかった。
 吉本さんが、最低限わきまえるべきとしたのは、個体幻想、対幻想、共同幻想はそれぞれに次元を異にする、ということだった。三者の間では必ず逆立ちや捻れ、対立が生じる。その深淵をすっ飛ばして、個的幻想を共同幻想に、対的幻想を共同幻想に重ねてのめりこむこと、また逆に共同幻想の論理を対的幻想や個的幻想に押しつけ圧迫すること、そうした強引さがどれほど悲惨な結果を招くか、明らかにした。

 それは、戦時中に悩み抜いた揚げ句、深淵を跳び超えて、「天皇のためになら死ねる」と突きつめた「軍国少年」吉本さんが、敗戦と戦後の営為のなかでつかんだ思想である。

 ただ、振り返れば『共同幻想論』にも、もの足りなさが残る。
 共同幻想の発生現場となる「負い目」や「罪」、「倫理」を論じるとき、そうした意識がいったいどこから生まれるのか、掘りさげが十分だったとはいえないからだ。言い換えれば、当時の彼は人間社会の次元から存在観(存在論)には降りていなかった。

◯生成の象徴を掌握する制度

 存在観(西欧哲学では「存在論)とは、「ある」ということ(存在)をどうとらえるかを問う。
 一神教的世界では、存在する事物は絶対神が創ったものとしてある。しかし、日本列島では、存在する事物は「生成」としてある。絶対者が創造したものではなく、自(おの)ずから生まれ出るもの(力)としてある。

 この生成を、列島では古来、「ありがたい」ことと受けとめてきた。「ありがたい」(有り難い)とは、たとえば、いのちが存在することはとても難しいこと(希有なこと)であり、ゆえに同時に、「ある」ことを「ありがたい」と感謝することにもつながる。

 列島の庶民が抱くこうした存在観を、「稲」を生成の象徴と見立て、巧みに演出を施したのが天皇制であり、大嘗祭の儀式などにその名残をうかがうことができる。天皇が稲(事物)の生成とつながっている、あるいはそれを掌握している、というように。
 列島人が抱く存在観的「負い」は、「天皇」制に吸いあげられ、「天皇」への敬愛として表出された。

◯晩年口にした「存在の倫理」

 『共同幻想論』執筆時、吉本さんは、個、対、共同の幻想(観念)の構造を、存在観におりて掘り下げるには至らなかった。「ある」ということ(存在)の受けとめが、深く意識化されていなかった。『古事記』や折口信夫、さらにニーチェらを引用して「負い」や倫理の根拠を探っているけれど、分析は人間社会の次元にとどまり、列島の存在観に降りたものにまでは深められていなかった。

 ところが晩年の2000年前後から、吉本さんは、ふと「存在の倫理」という言葉を口にするようになった。「ある」ということ(存在)が生み出す倫理について語り始めた。
 ただ残念なことに、その言葉を深めるだけの時間的余裕は、彼には残されていなかった。これについては、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』で触れた。

○「秋の味覚」松茸 ~「崩落性」と「もののあわれ」~

 ところで、九鬼周造は「秋の味覚」松茸について、短いエッセイを残している。松茸に「崩落性」を見出し、「松茸の季節は来たかと思ふと過ぎてしまふ。その崩落性がまた良いのである」と。崩落性とは崩れゆくはかなさとでもいえよう。
 これは存在する事物すべてに通じる。人のいのちも同じだ。

人間は偶然に地球の表面の何処か一点へ投げ出されたものである。如何にして投げ出されたか、何故に投げ出されたかは知る由もない。ただ生れ出でて死んで行くのである。人生の味も美しさもそこにある。 
   (「秋の味覚」(『九鬼周造全集』5巻)

 九鬼は、万物のこうした崩落性、有限性から、「もののあわれ」が生まれる、とする。

 「もののあはれ」とは、万物の有限性からおのずから湧いてくる自己内奥の哀調にほかならない。……(中略)。「あはれ」の「あ」も「はれ」も共に感動詞であるが、自己が他者の有限性に向って、また他者を通して自己自身の有限性に向って、「あ」と呼びかけ、「はれ」と呼びかけるのである。
   (「情緒の系図」)

本居宣長(『日本の名著 本居宣長』)


 万物の有限性とは、万物の生成であり消滅である。その生成のなかで精一杯、いのちの花を咲かせる。そこに「憐れみ」と「労(いたわ)り」を感じる。私なりに言い換えれば、こころの価値が互いに交換される。それが、本居宣長のいう「もののあわれ」だ。

 「もののあわれ」は、列島の存在観から湧き出てくる哀調であり、人が自然や他者と交わすこころの価値交換である。
 列島文化を根底で規定するのが、この「存在観」(西欧哲学の「存在論」)にほかならない。

 じつは「いき」も、列島のこの存在観から湧いてくる美学にほかならない。ゆえに、「いき」と「もののあわれ」はつながっている。
 それらは、「生きてある」ということ(存在)のうけとめ(存在観)から始まる。

◯「いき」と「もののあわれ」を生み出す列島の存在観

ハイデガーは、かつて九鬼周造が
語った「いき」について
本書で述懐している。

 「ある」ということ、いのちが「生きてある」ということ、それが「有り難い」(あることが難しい)、なんと希有なことか、と受けとめ、であるがゆえに、「ありがたい」(感謝したい)と願う。こうした列島の存在観こそ、「もののあわれ」を生み、「いき」を生み出した。

 もし、九鬼が列島独特の「ありがたい」存在観にまで降りて「いき」を解説していたら、西欧形而上学(哲学)を批判するハイデガーは、自論に近しいものと受けとめたのではないだろうか。

 時代の制約もあったろう、九鬼の「いき」は、「三種の神器」に流れ、「国体」に吸いあげられてしまった。しかし反面、彼自身も「崩落性」に着目していたように、「いき」は、観念を上昇させるのではなく、あくまでも下(存在観)に降りてこそ、深く味わえる。

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