「枯葉」 ステファン・グラッペリ
【偏愛名曲】
★楽曲「枯葉」 Les Feuilles Mortes 1947年
作詞:ジャック・プレヴェール、作曲:ジョセフ・コスマ
「堪(こら)え性がないなぁー」
50代後半だったろうか、社会保険事務所に出かけたときのこと。
雇用保険記録に残されていた転職の多さに呆れて、窓口の職員が、余計なお節介の言を吐いた。70歳前後の嘱託らしい男性だ。きっと、一つの職場での「叩き上げ」こそ人生の価値、と思いこんでの自負から、相手を見下ろしたかったのだろう。
「そんなことはあんたとは関係のないことだ、オレはハンフリー・ボガード(半分フリーのボガード)なんだ」と言い返そうとコトバが口元まで出たけれど、押さえた。まあ、当たってはいるし、ここはつまらんことで衝突しても仕方がない、と。
振り返ればたしかに、勤めた職場は10を超えた。同じように職場を転々としていた旧友と酒場で会えば、「オレの方が転職した職場の数が多いぞ」などと、つまらぬ自慢を競いあったほどだ。
だいたいは、次の職場の見通しを確定させてからの転職だったが、そうでない退職も、ときにあった。
40歳前後のころだったろうか。まだ、次の職場が決まってないまま、無職の期間が生まれた。失職中というのは、市民社会のシステムから弾き出されているようで、心寒い。
失業中の労働者の心情を、吉本隆明はうまく表現している。
いまから五年ほど前、失業していたとき、街を職さがしに歩きながら、何か用事あり気に路をゆく勤め人や商人が、別世界の人間のように羨やましくてならなかったことがある。わたしとそれらの人々とは、たかが明日はどうなるか判らない職をもっているか、いないかのちがいにすぎないのに、まるで別世界の人にようにこっちだけが窪んでみえるのはどうしたことか、……。
(吉本隆明「石川啄木」)
今の時代なら、「テレワーク」と称して昼間から自宅にいることもできるだろうが、当時はそうもいかない。家族の手前、平日の昼間は外で時間を潰すことになる。池袋の文芸座で映画を観たり、高田馬場のジャズ喫茶イントロなどで時間を過ごしていたころ。
冷たい風が骨身に沁みる昼下がり、池袋駅西口周辺の繁華街をぶらりとしていた。小さなビルの3階に、新しいジャズ喫茶を見つけてのぞいた。
ドアを開けて、入口近くに居心地の良さそうな席に腰を下ろした。ほかに二人ほど若い客がいて、コミック誌のページをめくっている。
そこに、ヴァイオリンの演奏が流れてきた。
ヴァイオリンという楽器は、妙にベタついていやだなと感じるときと、心にしっとりと入ってくるときがある。
アルバムのジャケットを見ると、ステファン・グラッペリ(1908~1997年)だ。フランスのジャズ・ヴァイオリニスト。アルバム名は『アフターヌーン・イン・パリ』(1971年録音)。
曲によっては、ねっとりしてベタついて困るな、というのもないわけではない。しかしB面の最後を飾る「枯葉」は、じわりと染みこんでくるような哀調を響かせていた。
ピアニストのビル・エヴァンスの「枯葉」のように、急くようにリズムを速め、旋律を飛躍させるのではない。旋律線を大きくは壊さず活かしながら、切々と歌いあげる。
ピアノ、ベース、ドラムスは、名を聞いたことのないプレイヤーだが、グラッペリと気心の知れた仲間なのだろう。素朴な演奏だ。ヴァイオリンに続く、ピアノ、ベースのソロも、奇をてらわない、ごくシンプルなもので、それがかえって、うらぶれに包まれたこちらの心情に合う。
「枯葉」という名曲を得て、グラッペリのヴァイオリンは流れるように歌っていた。
店の中央に石油ストーブが置かれているのだが、入口ドアには隙間があるようで、冷たい風が流れこみ、体が暖まらない。そんな状態で、珈琲をすすりながら聴いた「枯葉」。
「枯葉」といえば、まずイヴ・モンタンの歌だろう。ビル・エヴァンスの演奏も絶品だ。近年では、歳を重ねたエリック・クラプトンの歌も味わい深い。
それでも、職場が定まらない冬の季節、冷えこむジャズ喫茶で聴いたグラッペリの「枯葉」は、以来、愛聴曲であり続けている。
(YouTubeから 「枯葉」)
※グラッペリ演奏の「枯葉」には、いろいろなヴァージョンがあるが、この『アフターヌーン・イン・パリ』に収録されたものが私には一番だ。