ジャズ喫茶 ぶらり寸描(6) YAMATOYA(京都)
【偏愛名曲】
『ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ』

百万遍知恩寺で「法然上人御忌大会(ぎょきだいえ)」の法要を無信心者なりに片隅でありがたく拝聴したあと、リュックを背負い東大路通を下る。丸太町通に出れば、YAMATOYAはもうすぐそこだ。

路地に入り、店構えを眺めると、看板類は同じでも、以前とは少し異なる趣だ。扉も明らかに以前のものではない。
おそるおそるドアを押すと、かつてとは違う空間が広がっている。戸惑い、半ば踏み入れた足の動きを止めていると、カウンター内から、「どうぞ、真ん中の席へ」と声がかかる。マスターの声に促されるように入る。空間はかつての3分の1ほどではないだろうか。知らなかったが、大規模に改装されていた。
中央の席に腰掛け、重いリュックを脇に置く。
レイアウトも変わり、右側すぐにカウンター席がある。そこには、モノトーンを基調にしたセンスのよいファッションの妙齢の女性数人が腰掛け、静かに会話していた(もしかすると、1人はママさんだったのかもしれない)。
居心地は悪くない、いや、快適だ。
★ ★ ★

若い頃京都に旅したときは、「鳥類図鑑」とか「blue note」(河原町三条)あたりに立ち寄ったが、今世紀初頭、京に仮住まいしてからは、YAMATOYAさんが定番になった。
日曜の昼過ぎ、烏丸鞍馬口の部屋を出て、中古屋で仕入れた自転車に乗り、通った。正午開店なので、いつも私が一番乗り。
コーヒーと、昼食代わりのトーストを注文して、ふうっと深い息をして休んだ。応対してくださるのはママさんが多かった。ときに若い女性のことも。
モバイル機を広げて原稿を書き始めて、いつも途中で少しばかり居眠りをした。薄暗い空間で、深めの椅子、まろやかな音も居眠りを促してくれる。リクエストすることもなく、流れてくるジャズに耳傾けた。
京都は天候の変化が激しい。あるとき、店を出ると、通り雨で道が濡れていたが、自転車のサドルにビニール袋がかけられていた。お店の配慮で大助かりしたこともある。
そんなこんなで、YAMATOYAさんは「千日回遊で私が見つけたスローな古都の楽しみ方」と副題を付けた拙著『ほっこり京都時間』(2005年刊)でも採りあげさせていただいた。
YAMATOYAのサウンドが柔らかいのは、オーナー自慢のオーディア装置のせいだけではないようだ。テーブルや椅子、そしてピアノ、飾られる花器や照明、すべてがお洒落なアンティークで、落ち着いた柔らかい雰囲気を醸している。だから、サウンドも柔らかく響いてくるのだろう。
(『ほっこり京都時間』)


こうしたたたずまいは、改装し空間が狭くなったいまも変わらない。さらに、店主ご夫妻の年輪が味わいを深めてくれているように感じる。若い男子店員さんも好感がもてる。
マスターは穏やかな笑みを浮かべる。好々爺とは失礼な表現かもしれないが、同世代なので、勘弁させていただこう。シニアは、少なくとも表面は、穏やかでありたい(もし不満や怒りを内部に抱えていたとしても、罵詈雑言を吐くのではなく、冷静に言葉を尽くす。それが歳を重ねたものの役割だ)。
マスターの立ち振る舞いに、こころが和む。

かかっていたレコードは、1960年代のものだろうか、古典的で前衛的、前衛的で古典的なアルバム。私はマニアではないけれど、ジャズ喫茶でかかるアルバムの大体は把握しているつもりだが、初めての演奏者名だった。ときにまったく知らないアルバムを発見するのも、ジャズ喫茶の愉しみだ。

3番目にかかったのは、ウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオの名盤。ウェスの演奏といえばまず採りあげたい傑作アルバムのひとつ、『ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ』。
近年は耳鳴りが気になり、音楽を積極的に聴く機会が減っているのだが、ここのオーディオ装置から流れる音は、優しくまろやかで、うれしい。
半世紀以上前のジャズ喫茶は、薄暗い空間でジョン・コルトレーンの叫ぶようなサックスのシャワーを、目を閉じてうつむいて浴びる――そういう修行僧的なスタイルが流行ったものだが、それは遠い昔。

改装で座席数は減った。売上げも縮小しているだろう。でも、ダウンサイジングしても良質の音と空間を維持し続けたい、そんな想いが伝わってくるYAMATOYA。
旅先でこうした空間・時間を味わえるのは、じつに「ありがたい」ことだ。
支払いをすませ、「ごちそうさまでした」と頭を下げた。コーヒーとトーストだけではない、極上の音とこころ和む空間を提供してくれたご馳走への感謝の気持ちでもあった。
